完璧なシーンだった
絶賛ぎっくり腰中なので、本日も概要欄はおやすみ……と言いたいところですが、マスターソードですよマスターソード。一番好きな武器はなんですか?と聞かれれば「マスターソードです」と即答するでしょう。そのくらい好きです、マスターソード。名前のシンプルさ。それていて感じられる威厳と強さ。歴史と物語があって初めて完成するデザイン。どれをとっても完璧です。
思い出補正もあると思いますが、当時小学生だった自分は初めて「時のオカリナ」を遊んだ時に、マスターソードを引き抜くこどもリンクの姿に感銘を受けました。(ちなみに初めて遊んだゼルダはファミコンのリンクの冒険)
こどもリンクの姿が、まさに当時小学生だった自分と重なったからですね。引き抜いた後に待ち受けていた未来、運命、そして戦い。その全てが自分にとってどれだけ影響を与えたかという話はまた今度にするとして、「マスターソードを抜くシーン」というものは、やはりどうしても「当時感動した時のオカリナ基準」になってしまうわけですね。
だからこそ、前作「ゼルダ無双」におけるマスターソードのシーンが、演出・音楽ともに納得がいかず、また「任天堂が作ったゼルダじゃない」という側面も悪い意味で影響してしまい、自分にとってのトラウマシーンとなってしまったわけです。
ところが。今作「厄災の黙示録」におけるマスターソードのシーンは。文句なしです。ゲーム性の違いから「抜くまでの過程」はそれほど長く描けなかったにも関わらず、あの大森林での出来事だけでうまくそれを簡潔に完結させていたと思います。聖域に辿り着いた!抜いた!勇者だ!じゃだめなんですよ。なぜ抜くのか?なぜリンクが退魔の騎士なのか?その覚悟はあるのか?を、あの場にゼルダとアストルを居合わせることで見事に演出していました。
ひとつ、これはあくまで個人の想像における考察ですが、マスターソードと言えば引き抜いた際にリンクが剣を高く掲げる姿がお約束ですが、今回それがなかったですよね。あれって、今作「厄災の黙示録」があくまで「BotW」とは違うモノ、ひいては「ゼルダの伝説」オリジナルではなくそのスピンオフ、外伝的な位置付けであるという製作側のメッセージなのかなと思いました。
とまあ、長々と書きましたが大満足です。
どうでもいいですが、マスターソードを力強く抜くリンクの姿を見て「ああ、自分があんなに腰に力入れたら間違いなくぎっくり腰になるだろうな」と思いましたね。
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Негізгі бет 【#13】マスターソードを抜いて拍手喝采する男【ゼルダ無双 厄災の黙示録】
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