奈良県奈良市は、面積276.84㎢、人口約36万4千人で、奈良県の北部に位置し県庁所在地で、中核市に指定されている。710年、飛鳥「藤原京」から遷都され「長岡京」に移されるまでの約70年間、日本の首都として栄えた奈良は、当時最盛期の人口も10万人を数えた。江戸時代は、幕府の直轄領となり、奈良奉行の支配下におかれた。1871年(明治4年)、廃藩置県により「奈良県」が誕生し県庁所在地になったのもつかの間、1876年に奈良県は廃止となってしまい、「堺県」に編入された上、またもや1881年には「大阪府」に編入されてしまった。それから1887年(明治20年)に奈良県が復活し、1898年(明治31年)人口3万人の奈良市が誕生した。
近年は、観光都市としての性格の他、京阪神のベットタウンとしての顔もあり、2002年4月「中核市」に移行した。中心市街地は、「近鉄奈良駅」を中心に、西は「JR奈良駅」、東は「県庁」辺りまでで、東西に広がっている。観光地としての奈良、そして奈良の中心市街地という二つの顔がコンパクトに収まっていた街だった。
【JR奈良駅】
奈良線、大和路線、万葉まほろば線が乗り入れ、大阪、京都をそれぞれ約1時間で結ぶ。2012年度の1日当たりの乗車人員は17,469人で、市内では「近鉄奈良駅」に次いでの利用者数となる。また、2010年に高架化され駅舎も新しくなり1階が東西自由通路、2階が改札口とコンコース、3階がホームとなっていて、エキナカ商業施設として「マックスバリュ」などが入る店舗面積5,300平方メートルの「ビエラ奈良」も同時オープンしている。
駅の東口には「近代産業遺産」である「旧奈良駅舎」がある。この旧駅舎は、国際文化観光都市の案内拠点として2009年7月に「奈良市総合観光案内所」としてリニューアルオープンされた。
西口は、地下2階、地上10階建て、客室数330室を誇る「ホテル日航奈良」が駅と直結されていて、さらに西側に進むと「奈良100年会館」という総合コンベンションホールがある。この「奈良100年会館」の設計は、外壁剥離で休館中(改修工事は2014年8月〜11月末)の東静岡のグランシップと同じ設計士だ。
【近鉄奈良駅】
JRと同じく、京都、大阪を結び、2012年度の1日当たりの乗車人員は31,520人と実質、市の代表駅。駅は「奈良近鉄ビル」という駅ビルが併設されていて、ホームは地下にある。
【三条通】
土産物店のほか、居酒屋やファミレスなどもあり、主要な商店街と結ばれていて、観光地と買い物の場が混在するエリア。三条通りをJR奈良駅の方向から東側に進むと、北側に「興福寺」南側に「猿沢池」が見える。興福寺は、669年「藤原鎌足」が重い病気を患った際に、夫人である「鏡王女」が夫の回復を祈願して造営したといわれている。
【もちいどのセンター街】
三条通りから南側へ南北方向の商店街。1100年程前、大峰山(おおみねさん)で大蛇(おろち)の被害にあった行者に、「餅」や「飯」を配り、大蛇を退治した若者に「餅飯の殿」という称号が与えられ、そしてこの町は「餅飯殿」と呼ばれるようになった。どちらかといえば、日用品などを取り扱う店が多く、人通りは少なく観光客もあまり見かけなかった。
【奈良小西さくら通り商店街】
興福寺から少し西、ということから「小西」という説もある「奈良小西さくら通り商店街」は、「近鉄奈良駅」から「三条通」を南北で結ぶ市内最高の立地とも言える。もちろん、人通りも多く、昔ながらの店や新しい店も入り交じり、観光地への導線にもなっていた。
【東向商店街】
小西さくら通り商店街の東側に並行する「東向商店街」は、私の見た限りだが市内一の人通りで賑やかな商店街だった。小西は「興福寺」の少し西側ということに対し、この「東向」とは「興福寺」の境内の手前までで最も東側の通りに当たり、その西側だけに人家があったということから東向きと呼ばれた。商店街として発展したのは、1915年(大正4年)に現在の「近鉄」大阪奈良間が開通してからのこと。
Негізгі бет 2014中心市街地探訪010・・奈良県奈良市
Пікірлер: 29