長野県の最南端に位置し、面積658.66㎢、人口は102,911人(2017.7.31)。古くは鎌倉時代の文献には飯田という地名は存在しており、江戸時代は飯田城の城下町、信州の経済集積地として栄えた。明治4年の廃藩置県で飯田藩は飯田県、その後、筑摩県を経て明治9年には長野県に統合されたが、下伊那郡役所など諸官庁が所在する伊那谷の中枢都市となった。明治22年(1889年)の町村制施行では伊那郡飯田町が成立し、昭和12年(1937年)には上飯田町と合併して飯田市が誕生した。戦後は、昭和22年の大火により「信州の小京都」と言われた市街地の7割が消失したが、その後、区画整理や裏界線などの整備により防火都市に生まれ変わり、近年では平成17年(2005年)に近隣2村を編入して現在の市域となった。
静岡県からのアクセスは、東海道新幹線もしくは東海道本線で豊橋まで行き、飯田線の「特急伊那路」に乗り換え、豊橋から飯田まで2時間30分。
中心市街地は、JR飯田駅から東側へ約800m付近までのエリア。
飯田の中心市街地は、かつての飯田城とその城下町が存在した丘の上にあり、長野県、静岡県、愛知県のそれぞれの県境に接する独自の文化を感じた。信州の小京都と呼ばれた古い町並みは、戦後間もない大火で消失してしまったが防火都市へと生まれ変わり、さらに2027年の開業を目指しているリニア中央新幹線は飯田にとって大きな転換期を迎えることだろう。同じくリニアが停車する甲府や中津川は、中央本線が乗り入れ、直接名古屋や東京などの大都市と結ばれている交通の要衝であるのに対し、ローカル線しかない飯田にとっては今までにない刺激を受けることは確実で、全国から脚光を浴びる大きなチャンスになるのではないかと思った。
【JR飯田駅】
飯田線が乗り入れ、1日当たりの乗車人員は959人(2015年度)。駅は2面3線の地上駅でホームは西側、駅舎が東側にある。改札口を出ると切符売り場などの駅施設や売店のほか観光案内所も併設されている。駅を出るとタクシー乗り場と一般乗降用ロータリーが北側、高速バスも乗り入れる路線バス乗り場が南側にあり、駅前周辺には土産物店などが入るビルが並んでいた。駅の西側は住宅街。
【ピアゴ飯田駅前店】
店舗面積6,864㎡、地上1階から4階までを営業フロアとする商業施設。
【栄小路】
南北約60m続く飲食店街で、焼肉店や居酒屋などが集まっている。
【中央通り】
飯田駅前から、なだらかな下り勾配で東側へ約360m続き、主に居酒屋など飲食店が集まっている。
【東中央通り】
【りんご並木・飯田大火・裏界線】
りんご並木は、東中央通りの中央通り1丁目交差点から南側へ約310m続くりんごが植えられた防火帯道路で、戦後まもなく発生した飯田大火の復興事業として整備された。飯田大火は、昭和22年(1947年)4月に発生した市街地の4分の3にも及ぶ約60万㎡を消失した大火。防火帯道路の中央には、当時(1953年)飯田東中学校の生徒の発案によりりんごの苗木が40本植えられ、現在では大火復興のシンボルから街のシンボルとなり周辺には店舗などが建ち並んでいる。また、復興事業として、市民が土地を出し合って防火帯や避難経路の役割を持つ幅2メートル程の「裏界線」と呼ばれる道も整備された。
【中央通り1丁目(歓楽街)】
【トップヒルズ本町】
地下1階、地上10階建て、延床面積14,010㎡の複合ビルで、再開発事業として2001年7月に完成した。地上1階に食品スーパーのほか専門店、2階と3階には市役所の機関など公益施設、4階以上のフロアは分譲マンション。
【飯田銀座商店街】
東中央通りから南側へ約230m続く片側式アーケードが設置された商店街。
【トップヒルズ第二】
A棟、B棟、C棟、D棟、E棟の5棟からなる再開発ビルで、2006年に完成した。地上10階建てのA棟には1階に店舗、2階はオフィス、3階以上はマンション。地上9階建てのB棟は飯田信用金庫の本店、地上3階建てのC棟には川本喜八郎人形美術館などが入っている。
【銀座堀端ビル】
地下1階、地上5階建て、延床面積5,600㎡の複合ビルで、2007年に完成した。1階に店舗、2階にはデイサービスや地域包括支援センター、3階にはケア付高齢者住宅が入り、4階と5階はマンション。
【知久町商店街】
東から西側に向かって1丁目、2丁目、3丁目と続き、それぞれ片側式アーケードが設置されている商店街。
【飯田市役所】
【飯田市立動物園】
【飯田商工会館】
【長野県飯田合同庁舎】
【飯田市立中央図書館】
【飯田市美術博物館】
【飯田城跡】
室町時代にこの地を治めていた豪族の坂西(ばんざい)氏が築いた平山城。戦国時代には徳川家康が関東に移った後、豊臣家臣の毛利秀頼により城郭の拡張と城下町が整備された。江戸時代以降は小笠原氏、脇坂氏と続き堀氏が幕末まで飯田藩を治めた。
【赤門】
飯田城の桜丸御門で、明治の廃城令で徹底的に破却された飯田城に残された数少ない遺構。赤いベンガラで塗られた赤門は、加賀前田家の東大の赤門と同じく格式の高い大名にしか許されなかった。
【三宜亭本館】
Негізгі бет 2017中心市街地探訪101・・長野県飯田市
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