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小説に書いてはいけないこと Vol.3
例文
目が覚めると、白いカーテンの隙間から朝日が見えた。隣では彼女が静かな寝息を立てている。今まで職場でもそんなに話したことのない彼女と、こんな関係になるなんて。僕は実は密かに好きだと感じていた。朝日の中で、彼女の綺麗な肌が見える。
悪文。当たり前のことを書かない。
小説が朝から始まる。窓には普通カーテンが吊ってある。目が覚めるのは朝である。朝、朝日が見える。綺麗な肌とはどんなことか。
青い空、白い雲。愛、恋という言葉を使わない。テーマそのものを言ってはいけない。
ちょっと考えてみよう。これは全て嘘である。こんなこと考える訳がない。もう一歩踏み込んでみよう。深く考えてみよう。何が見える? 何を感じる? 正直に答えよう。
私ならこう書く。
俺の方が先に目が覚めた。俺はそれを良かったと思った。手に入れた獲物をゆっく味わいたい。左腕が痛い。見たら、女の歯が食い込んだ痕がある。一度喰らい付いたら絶対離さない、良く仕込まれた猟犬。それがこの女だ。
腕の傷を舐めてみる。鉄臭い味がする。肌は切れて、長く切れて、血が滲む。夏の朝日に焼かれてひりつく。人間の身体から出る血はこんなに熱いんだ。女の中も熱かった。はっきりとその感触が浮かぶ。
女の顔は化粧が落ち切れなくて、それに昨夜の激しさもあって、なんだか滑稽に見える。この頃の女は寝ている時も付けまつ毛だけは取らないんだそうだ。俺は本気にしなかったが、確かに彼女の眼には長く、カーブした付けまつ毛が、浜辺の松みたいに聳えている。
獰猛な獲物だった。女は同僚だ。この俺が三ヵ月も掛かってやっと手にした。女の肩が剝き出しだ。きっとまだ全裸に違いない。俺は毛布を剥がして抱きしめようとした。昨夜の感触を身体中が覚えている。俺が狩ったんだから、所有権は俺にある。
なんだか重たいものが俺の足を登っている。それが俺の腰を辿って、俺の裸の胸に乗る。百獣の王みたいに肩を揺らして。半身起こした俺をベッドの上に押し倒す。
そいつと俺の目が合う。俺の顔の匂いを嗅いでいる。口や、鼻や、目まで嗅いでいる。俺の顔ってどんな匂いがするんだろう? その小動物は俺になぜか興味があると見えて、俺の胸の上を離れない。
小動物が俺の眼をしっかり見ながら「ミャーウ」と言った。小さな口には真っ白な牙があった。魚臭い匂いがする。今の「ミャーウ」とは、どういう意味なのか暫し考える。女に向かって発せられた二回目の「ミャーウ」が女を起こした。
「やだ、昨夜タクヤちゃんにエサあげんの忘れた!」
女はすっかり生まれたままの姿で、キッチンに走った。ネコが後に続く。ネコがベッドを降りて、床に落ちた足音がした。さっきの「ミャーウ」は腹が減ってた「ミャーウ」だったんだ。女の完璧な尻を見て、俺は彼女がずっと体操部だったってことを思い出した。そうしたら昨夜、俺の足に絡みつかせてきた滑らかな足を思い出した。
五感を使う。見る、聞く、嗅ぐ、味わう、触れる。
第三の人物を加える。
ちょっと考えてみよう。これは全て嘘である。こんなこと考える訳がない。もう一歩踏み込んでみよう。深く考えてみよう。何が見える? 何を感じる? 正直に答えよう。自分に嘘を付いている。読者に嘘をついている。
書きたくないことを書いている、ということに気付く。
小説に嘘を書いてはいけない。
100%の人がやっている。
フィクションだからといって、許されるものではない。
朝から始まる小説。有名な冒頭。一度読んだら一生忘れない。我々もこれを書かないと。そしてこれを超えよう。
夏目漱石の『それから』冒頭。青空文庫より。
誰か慌あわただしく門前を馳かけて行く足音がした時、代助だいすけの頭の中には、大きな俎下駄まないたげたが空くうから、ぶら下っていた。けれども、その俎下駄は、足音の遠退とおのくに従って、すうと頭から抜け出して消えてしまった。そうして眼が覚めた。
枕元まくらもとを見ると、八重の椿つばきが一輪畳の上に落ちている。代助は昨夕ゆうべ床の中で慥たしかにこの花の落ちる音を聞いた。彼の耳には、それが護謨毬ゴムまりを天井裏から投げ付けた程に響いた。夜が更ふけて、四隣あたりが静かな所為せいかとも思ったが、念のため、右の手を心臓の上に載せて、肋あばらのはずれに正しく中あたる血の音を確かめながら眠ねむりに就いた。
ぼんやりして、少時しばらく、赤ん坊の頭程もある大きな花の色を見詰めていた彼は、急に思い出した様に、寐ねながら胸の上に手を当てて、又心臓の鼓動を検し始めた。寐ながら胸の脈を聴いてみるのは彼の近来の癖になっている。動悸どうきは相変らず落ち付いて確たしかに打っていた。彼は胸に手を当てたまま、この鼓動の下もとに、温かい紅くれないの血潮の緩く流れる様を想像してみた。これが命であると考えた。
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Негізгі бет 231、小説に書いてはいけないことVol.3。 嘘を書いてはいけない。
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