撮影年月日2019.4.16 撮影機材SONY FDR-AX700
高遠コヒガンザクラ
「天下第一の桜」と言われている高遠小彼岸桜(高遠コヒガンザクラ)は、小振りでピンクの強い可憐な花を咲かせます。
かつて馬の姿が桜の花に埋もれて隠れたという高遠藩の桜の馬場。
明治8年頃、荒れたままになっていた高遠城址を何とかしようと、旧藩士達が馬場の桜を城址に移植したのが公園の桜の始まりです。
現在、園内には約1500本もの「タカトオコヒガンザクラ」(固有種)があり、 ソメイヨシノより少し小ぶりで赤みのある花を咲かせます。
池や起伏のある公園いっぱいに咲くこの桜は、マメザクラまたはキンキマメザクラと、エドヒガンの交配種の一系ですが、コヒガンザクラとしては新種で、高遠固有の種類であるとして命名された貴重な桜です。
高遠城趾の桜は、日本さくらの会選定の「さくらの名所100選」の一つに選ばれ、長野県の天然記念物に指定(昭和35年2月)されている桜の名木です。桜憲章の中では、「門外不出」として、町民であっても手にいれられないほど、大切に守られている桜です。
高遠小彼岸桜が赤みを増しているには「武田家滅亡の血の色」
戦国時代、1582(天正10)年、武田信玄亡き後、織田信長は「甲州征伐」により信長の長男信忠に攻められ、武田征伐の大攻勢を始めると武田領国の防衛網は崩壊します。
3月2日織田信忠を主将とする織田軍は降伏を勧告しますが、盛信は織田方の和睦交渉を断固として拒否し、ついに戦闘が開始された。この戦いは高遠城の戦いと呼ばれており、武田勢3千が織田勢5万の大軍に対抗して玉砕した武田氏最後の戦いとなりました。
滅び行く武田家を重臣や一族までもが見限り寝返る中、ただ一人最後まで戦った武将、仁科盛信はこの時26歳でした。高遠城は、織田の大攻勢の前に武田が徹底抗戦した唯一の城でした。
戦いで散った仁科五郎盛信(武田信玄の五男)の勇敢なエピソードとその壮絶な最後により、城兵たちの血が地面に染みたからだと伝えられています。
Негізгі бет 4K映像 桜の名所「高遠さくら祭りⅡ 日本三大桜」cherry blossom japan 信州伊那『天下第一の桜』高遠城址公園 中央アルプス 日本の春 長野県伊那市 4月中旬 お花見 絶景自然風景
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