88年の10月号時刻表を見て、びっくり仰天。それまで一日に17往復も走っていた、山陰本線京都口の客車列車が、朝夕の3本を除いて、すべてDC化されることになりました。
客車列車の記録を残そうと、最後の10日間、ほぼ毎日、保津峡を中心に撮影に回りました。
これでもか!というくらい客車列車が走っていたことが伝わります。
また、時折、後部ドアを開け放しにしている列車も見えます。
二条駅のカーブもいまは高架になって、まったく面影がありません。
Негізгі бет 保津峡 客車だらけ 88年 二条駅地上時代のカーブ
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