日本で「ブルースの女王」と呼ばれた歌い手、淡谷のり子、最大のヒット曲を。
3年前に小生がアップした電気再生のSP盤動画が、「ブギウギ」効果なのか、知らず間に2.8万回再生・・・。
正直、電気再生で聴くのは淡谷先生に申し訳なく、1926年製ヴィクトローラ・クレデンザ蓄音機で急遽作り直しました。
淡谷のり子(1907年8月12日:青森市 - 1999年9月22日:東京都大田区)について改めて綴ることはないだろう。
東洋音楽学校(現・東京音楽大学)で声楽科を学び、「十年に一度のソプラノ」とも呼ばれた淡谷。
そんな彼女が「アルトでも無理」と言われる低音を要求される、服服部良一作曲のある曲に挑むにあたって、夜通し吸ったこともないタバコを吸い、レコーディングに臨んだ、というエピソードは有名だ。
それが1937年にリリースされタ彼女の大ヒット曲『別れのブルース』である。
服部がその才能を高く評価していた作詞家、藤浦洸が書いたその濃厚な歌詞、服部が研究を重ねたブルースに影響を受けた曲調(しかし、実際にはブルース・コードを用いられていない)、そして淡谷のプロ根性が混然一体となって、この名曲は生まれた。
世界に誇れる名曲、名唱の【ターンテーブル動画】を。
Негізгі бет 淡谷 のり子 『別れのブルース』(昭和12年)Victrolaクレデンザ蓄音機再生
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