「映像作家の日記」
撮影許可をいただいての8日間の撮影は本当に楽しかった。
撮影することが純粋に楽しかった。
初めて東大寺を撮影してから、ここは何も変わっていない。
そして、これからも変わらないのだろう。
でも、それは多くの人のご尽力で成り立っている。
守ること、伝えること、残すことの難しさ、多くの人はもっと感謝をしなければならない。もっとリスペクトしなければならない。もっとその価値を知らなければならない。
撮影を終えた時から東大寺で撮影した様々な思い出が蘇った。
たったひとつだけ後悔があった。
さだまさし様の大仏殿での深夜の奉納演奏についてだ。
東大寺様のご厚意により、さだ様が大仏様と2人きりになり深夜の大仏殿で奉納演奏することになった。
私の中で映像のイメージは明確だった。
大きな大きな大仏様の前で小さな人間が仏を見上げて音楽を捧げる。
悔過ともつながる選曲もぴったりだった。
一つの画面の中で大きな大仏様と小さなさだ様の後姿がマスターショットだった。立ち位置はすべてイメージの中にあった。
曲が進につれてさだ様の背中が大きく見えるようにる。
捧げることで心が変化し、大きな大仏と小さな人間が対峙するようになる。そして、最後は大きさなど関係がなくなり、大きな大仏様とさだ様の大きな心が向き合うようになる。
曲が終われば、そこには大きな大仏様と小さな人間がだたそこにいる。
私の絵コンテには私の大仏様への思いが込められていた。
大仏様を説明するのに「日本や東大寺の力を誇示するために大きな大仏が必要だった」それが定説のひとつになっている。
でも、私の中ではそれは違う。そのような政治的な理由には興味がない。大仏様があれほど大きいのは人間の小ささを実感するためだ。
思い上がった人間が大仏様の前に立った時、大仏様を見るのではなく見られた人間は自分の小ささを知るだろう。
そんな思いをさだ様の奉納演奏の映像で表現したかったのだ。
ひとつの画面の中で大きな大仏様と小さな人間。
残念ながらその思いはプロモーションビデオの監督には理解してもらえずに現場で却下された。立ち位置も大仏殿の隅となった。
立場として私は監督ではないので従うしかなかったが、もし私が監督の立場であれば、さだ様の世界と仏様の世界を同時に伝えることの出来る世界で初めての試みとなったに違いない。
世界に誇る大仏様とさだ様だからこそ、到達出来る可能性があった。
私が東大寺と関わる中で唯一の心残り、忘れていただけど蘇って来た。
後悔は、私がその場にいるすべてのスタッフに嫌われてでも、自分のイメージを貫けば良かった。そうすればさだ様の心に少しでも近づけたような気がする。私は間違ってしまった。
やはり私は小さな小さなつまらない人間なのだ。
Негізгі бет 東大寺大仏殿と月_4k
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