約3年前の本番と、そのリハーサルで撮った映像を編集してどこにも載せてなかったやつを再編集した。
こうみると、未だに作る作品の根本的なものは変わらなく、振り付けの技術は随分と変わったのだなぁと感じる。
いつでも地獄に落ちて、いつも必死こいて這い上がっている。そしてまた落ちる。
ステージの上を走り回って、アザを作って、
わざわざ血まみれになる道を選び続けて
本当にこれをやる意味が生まれるのかまた問う。
そして落ちる。
ほんの少し、どうにかすれば、もう少し生きやすくなるのになぁと分かっているのに、
どうしても私自身を抑えて生きれず、何度も後悔する。
しかしこんなクソみたいな気持ちになり続けても、やっぱり出来る限り優しい人で生き続けたいと思う。
余裕のない人間だからこそ、余裕ぶって生きてる。
全然平気でもないのに大丈夫と言うし、
どうにもならないのにどうにかすると言う。
そろそろ惨めだ。
それでも、
それでもそれでも。
血反吐を吐きながら、また進むしかない。のだ、のか、のだ。
ペットボトルの蓋の上にいるのは結局私も同じだった。
クソみたいなフォローをしてたかもしれない、わたしも結局同じだ。
でも私は、ペットボトルの蓋の上にいる女が大好きだ。
だから、仕方ないので、自分のそう言うところは嫌いじゃないと思うことにした。
社会で上手く生きている自信があまりないけれど、わたしはちゃんとしたいだけだけど、それでも溢れてしまうわたしらしさが作品として昇華されて良かった。
そうじゃなかったら、もうわたしは本当におのれに愛想を尽かしていたところだった。
危なかった。
今日も踊る、明日も踊る、死ぬまでひたすら、ただ只管。
Негізгі бет ダンス作品「狭心症」
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