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法話「アレよりはマシと言うご婦人たち」真宗大谷派僧侶 高科 修 師20240405
Күн бұрын
法話「アレよりはマシと言うご婦人たち」真宗大谷派僧侶 高科 修 師20240405
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お坊さんの小話(法話)~浄土真宗~
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Пікірлер: 17
@小島雄三-o5x
5 ай бұрын
法話ありがたくいただきました。 南無阿弥陀仏 合掌
@buddhism_japan
5 ай бұрын
小島雄三様 ご視聴、コメント、SuperThanks(懇志=お布施として)小島雄三様のお気持ち、確かに受け取らせて頂きました。 ありがとうございます。 南無阿弥陀仏 合掌 高科修
@小島雄三-o5x
5 ай бұрын
こちらこそありがとうございます。 無くなられた方達の大きな願いの中で、生かされてます。 南無阿弥陀仏 合掌
@yoshi0314kawai
5 ай бұрын
ほんとうにそうですね。この言葉は。
@buddhism_japan
5 ай бұрын
Yoshi Kawai様 本編のご視聴、コメントありがとうございます。 「ほんとうにそうですね」のYoshi Kawai様お言葉通り、「この言葉」は、私たち人が人として持っている、どうすることも出来ない『性根』であります。 この『性根』を、消すこは決して出来ません。 なぜなら、私たちは人(人間)を生きているのだから。 故に…浄土真宗があります。 浄土真宗大谷派は、 この性根の私だからこそ、日々気をつけて生きて行かねばならない!と説くのです。 南無阿弥陀仏 合掌 高科修
@とよちゃん-x4z
5 ай бұрын
いつも身近で大切な法話を有り難うございます。 今回も、 後半の飛行機事故のおはなしでは、 ハッとして、 とても考えされられてしました。 また、 今回気付いたのは、 タイトルの事でして、 「アレよりマシというご婦人たち」 とは、 ご婦人ばかりが、「アレよりマシ」と言ってる、 と、 受け取ってしまいますが……。 実際、 月詣りに伺えば、 平日のまっ昼間に仏間で対応するのは、 99.9%が奥様なのでしょうから、 もともと奥様との会話に伴う法話が多くなってるようですが、 「ご婦人たち」と、 敬語を使いながらも、 その実、心根では 「その辺の主婦達」 という言葉を使いたいのでしようか? 最近では、このようなちょっとした表現方法も、大きく取り沙汰される時代だと 思います。 67歳の女性より。
@buddhism_japan
5 ай бұрын
とよちゃん様 ご視聴、コメントありがとうございます。 「後半の飛行機事故のお話では、ハッとして、とても考えさせられてしまいました」 との、とよちゃん様のお言葉。 そのお口ぶりですと、前半の『アレよりマシと言う』は、ハッとせず、考えさられなかったと言うことで、よろしいでしょうか… そう理解致しますと、 とよちゃん様の…… 「ご婦人たちと、敬語を使いながら……その心根では、その辺の主婦達……最近では……時代だと思います……67歳の女性より」のコメントが、なぜコメントされたかが理解できます。 今回の法話は、 前半のアレよりはマシのお話しも、後半の飛行機事故のお話しも、同じことをお話しいたしております。 『アレよりマシだ』を言う時の… 「うちの○○が乗ってなくて良かった」を言うときの… その時の自分の心情・心根のお話です。 幸福感も不幸感も基準は外。生贄を見つけて安心する……この『私の心情・心根のなんと怖いことなのか!』 この私の心情・心根の込められた『アレよりはマシだ』『乗ってなくて良かった』の言葉は、如何なものか!という法話であります。 この法話は、とよちゃん様ご自身の心の内の声を、とよちゃん様ご自身で聴いてみて下さいと言う問いかの法話です。 幸福感も不幸感も基準は外。生贄を見つけて安心している自分の姿を反省・慙愧しましょうという法話であります。 とよちゃん様…… 「ご婦人たちと、敬語を使いながら……その心根では、その辺の主婦達……最近では……時代だと思います……67歳の女性より」のコメントの中には、ご自身の反省も慙愧もありません。 また、この法話の『自身に問いかる』姿勢もありません。 あるのは… 「ご婦人たち」と、 敬語を使いながらも、 その実、心根では 「その辺の主婦達」 と受けとり、自分は「その辺の主婦達」では『ない』と思ったという事です。 とよちゃん様… どうぞ、今回のこのお話しの内容もそうですが、 とよちゃん様ご自身の心の内の声をじっくり聴いて自問自答して頂ければと、切に願っております。 最後に、とよちゃん様のように思うご婦人たちがいるからこその、あえて『ご婦人たち』とタイトルに入れております。 悪しからず。 南無阿弥陀仏 合掌 高科修
@とよちゃん-x4z
5 ай бұрын
@@buddhism_japan、 高科様、 ご返信頂き、 とても嬉しいです。 何回も読み返しました! これほどまでに私の心を見透かされるとは、 露も思わず、 今となっては、 恥ずかしい限りです! 私の性分をグサリと言い当てられ、 反省で心が震えています……。 本当に私は、 高科ご坊が見抜かれた通りの 人間です。 この度頂いたメッセージを大切に、 新たな心構えで、 今後も この動画を拝聴していきます。 大きな教えを与えて頂き、 本当に有り難うございました。 南無阿弥陀仏。
@しろくま-v6q
5 ай бұрын
高科様 いつもありがとうございます。 今回も突き刺さるお話ありがとうござます。 以前に池江璃花子さんが白血病からの復活を遂げられたときに 国民は奇跡的な復活や活躍に歓喜し、拍手を送りました。 その通りです。素晴らしい出来事です。 皆に夢と希望を与えてくれました。 でもその当時、お寺の坊守は浮かない顔で言いました。 「盛り上がっている裏で毎年何千人もの人が白血病で死んでいることを忘れている・・・」 頭を思い切り殴られたような強い衝撃を覚えています。 いつも私の恥に「気付く」自分でありたいと思います。 ありがとうございました。 南無阿弥陀仏 合掌
@buddhism_japan
5 ай бұрын
しろくま様 ご視聴、コメントありがとうございます。 私自身も、お話をしながら、自分自身に、突き刺さっております。 『いつも私の恥に「気付く」自分でありたいと思います』 との、しろくま様のお言葉。 私は… 気づくどころか… 毎日が… 恥まみれであります。 南無阿弥陀仏 合掌 高科修
@Aシキミ
5 ай бұрын
お話ありがとうございました。身に覚えがあり過ぎて、ただ頷いていました。 幸福感も不幸感も基準は外。そして生贄を見つけて安心する・・・「自分さえ良ければ」というのは人間の性(サガ)なのでしょう。 仏様の様な「大きな想い」とは対照的な心の働きだと思います。 ありがとうございました。
@buddhism_japan
5 ай бұрын
A・シキミ様 ご視聴、コメントありがとうございます。 真宗大谷派には、 『往生は心にあり 成仏は身にあり』 という言葉があります。 真宗大谷派では、 往生は、死して浄土へ往くことを指してはいません。 先亡くなられた方々の、その『大きな深い願い=仏』の中で生きている…私たちは誰一人漏れることなく『先に亡くなられた方々の屍の上に生きているのだ!』と気づき、そのことを踏まえた上で、自分自身の人生を、たとえどんな辛い苦しい悲しいことがあっても、歯を食い縛り、唇を噛んで生きて行こうという生き方を生きていく覚悟をした時を『往生』と呼ぶのです。 その生き方の姿は、 南無気づけ 阿弥陀仏気づきましたの 南無阿弥陀仏の姿であるからです。 何があっても『死ぬまで生きる』のぶれない姿であります。 その生き方の姿は、他の人には、私に人生の生き方を見せてくれる仏(私に気づかせてくれる存在)となります。 自身の往生の生き方は、 他の人には仏と成りますが、自分自身は仏とはなり得ません。 なぜなら、自分自身は何処まで行っても、往生しながら『我』があるからです。 我の自覚…悲しく哀れな人間の性(業)の自覚もまた、往生ということです。 この身が、この我が身が死して、はじめて『我の無い純粋な願い』に成るのです。 故に… 『往生は心にあり 成仏は身にあり』 で、あります。 『幸福感も不幸感も基準は外。そして生贄を見つけて安心する・・・「自分さえ良ければ」というのは人間の性(サガ)なのでしょう』 こそ、言うなれば往生です。 『仏様の様な「大きな想い」とは対照的な心の働きだと思います』 対照的で至極当然であります。 対照的であるからこその 『往生は心にあり 成仏は身にあり』 で、あるのですから。 A・シキミ様。 今回のA・シキミ様のコメントにより、あらためて往生と成仏について、熟考させて頂きました。 善き機会を与えていただけたこと、誠に感謝致します。 ありがとうございます。 南無阿弥陀仏 合掌 高科修
@Aシキミ
5 ай бұрын
@@buddhism_japan 返信ありがとうございます。 『往生は心にあり 成仏は身にあり』このお言葉の真意に、いつ気付くか判りませんが、心に刻んでおきます。 ありがとうございます。
@DC-vh1kh
5 ай бұрын
ありがとうございます 2月に父を亡くし私が発見しCPRを施した潜水士です。 これを機に父のルーツを調べ、無宗教であった私ですが、真宗大谷派ということが分かりました。東京から九州までその御寺さんまで出向き、お線香をあげてきました。 私が、真宗大谷派の法名を得たりすることは可能でしょうか? 父が旅だった後、高科僧侶の法話にとても救われております。 ありがとうございます。 南無阿弥陀仏
@buddhism_japan
5 ай бұрын
ボイジャーDCチャンネル様 大切なお父様とのお別れ…そのお別れに際し、文面では失礼とはぞんじますが、一言、お参りの言葉を申させていただきます。 『たいへんお寂しいことになられました。 南無阿弥陀仏』 ボイジャーDCチャンネル様…… 多くの日本人が、亡くなられた方を「旅立つ」と表現致します。 「死出の旅路」しかり、 「浄土へ旅立つ」しかり、「極楽へ行く」しかり、しかしながら浄土真宗大谷派は、旅立ちません。 詳しく話を始めますと、とてつもなくながくなりますので、手短にお話を致します。 亡くなられたお父様は、『大きく深い願い=仏』と成り、我が子であるボイジャーDCチャンネル様のその時(死)のその瞬間まで、あなた様を『叱咤激励』しております。 浄土真宗大谷派の仏の認識は、娑婆に遺され私に、様々なことを『気づかせてくれる存在』との頷きであります。 現に、ボイジャーDCチャンネル様は、お父様が亡くなられたことにより(仏と成られたことにより)、 無宗教であった あなた様が、浄土真宗大谷派の法名を授与されたいとの思いにさせております。 それは、まさしく、亡くなられたお父様の『気づけ』『気づけ』という願いに他なりません。 死してなお、あなた様を心配し、励まし、人の生きる死すを教えてくれているのです。 浄土真宗大谷派の法名を授かるということは、この『大きく深い願い』に願われて生きている自分に気づき、その願いを汲み取って生きて行く生き方を生きて行くとの私自身の覚悟の名のりであります。 浄土真宗大谷派は、法名を授かりたいと願う方(仏弟子となる)を、誰一人拒みません。 どうぞ、 帰敬式をお受け下さいませ。 下記に法名を授与に関して詳しく載っております。 真宗大谷派東本願寺帰敬式ご案内リンク www.higashihonganji.or.jp/application/kikyoshiki/honganji/ よくあるご質問(帰敬式)リンク www.higashihonganji.or.jp/application/kikyoshiki/ 真宗大谷派教務所一覧リンク www.higashihonganji.or.jp/organization/kyoumusho.html ボイジャーDCチャンネル様… 下記の動画を是非ともご覧ください。 法名を授かることは、いなかることなのかをお話をしております。 法話『戒名と法名の違い』 kzitem.info/news/bejne/srCdp2GIondpqqQ こちらの動画もご覧ください。 通夜法話シリーズ「長さんの弔辞 見送る覚悟とまた逢う決意」 kzitem.info/news/bejne/zoJ6vneqsWNoqIY 通夜法話シリーズ「死にゆく親の最後の願い」 kzitem.info/news/bejne/taVmzYaAm5ZonaA 法話「大きく深い願いになる」とは? kzitem.info/news/bejne/zKNj2mabe3lof44 法要法話「四十九日(満中陰)を迎えるにあたって」 kzitem.info/news/bejne/wJiKrmWLfal7d5g 南無阿弥陀仏 合掌 高科修
@jam73n
5 ай бұрын
いつも大変わかりやすいお話ありがとうございます 私は 例えば、ざっくりではありますが自分自身の経験として"あの時の自分よりマシ"という考え方をします。これは今回のお話とはまた意味が違うようにも思いますがどうなのでしょうか また、今から8年前の夏に母を亡くし、その年の年末に私自身に乳癌が見つかりました その時に思ったのは癌が見つかったのが "母が死んだ後でよかった" 弱っている母に心配かけずに済んで良かったという意味ではありますが なんだか早く死んでよかったと思ってしまったように感じて、これは口に出していうべきではないと思っていました。今でも母に申し訳なかったと思っています
@buddhism_japan
5 ай бұрын
なみjam73n様 はじめに、なみjam73n様が乳癌になられましたことで、その不安、心配、決意、治療、経過等々で、なみjam73n様ご自身のご心労、察するに余り有ります。 精神的、体力的、あらゆることでの『ご心労』 ここに、文面ではありますが、お見舞い申し上げます。 そして… なみjam73n様が『今!を生きている』ことに、感謝致します。 なみjam73n様が、 現在は良好であられることを願っております。 改めてまして、 ご視聴、コメントありがとうございます。 『アレよりマシだ』の言葉がイケないのではありません。 『アレよりマシだ』を言うときの、その時の自分の心情・心根のお話です。 幸福感も不幸感も基準は外。生贄を見つけて安心する……この『アレよりはマシだ』は、如何なものか!という法話であります。 なみjam73n様… 「あの時の自分よりマシ」の考え方は、自分自身の経験してきたその積み重ねを、自分自身の経験として真摯に受けとめているからこその自身の『生き様 』の対比であります。 それは、貴女自身(なみjam73n様)にしか出来ない事です。 それで良いのです。 また… 「母が死んだ後で良かった」は、それはなみjam73n様のお母様に対する『優しさ・思いやり』であります。 娘として母親を心配し、その母親の娘を心配するその思いに、心配させまいとする娘としての最大限の優しさ・思いやり…そう愛情であります。 『素敵な思い』であります。 どうぞ、その思いを後悔なさらないでください。 親の死… そして自分自身の病気… その経験は、なみjam73n様に、いろいろな思いを感じさせ、また、いろいろな考えを抱かせたであろうと感じております。 そのご経験が、なみjam73n様の『今!を生きる』『自分のその時が来るその日まで、自分自身の人生を生ききる』…その、なみjam73n様の人生を生きる『糧』になっていただければと、切に切に願っております。 南無阿弥陀仏 合掌 高科修
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