幕末期の宇佐は五つに分割され個性的な町並みを形成していました。幕藩体制が行きづまって農民一揆が各地におこり、外国の船が来航し開国をせまるなど、まさに内憂外患の時代でした。
浦賀(神奈川県)に黒船がくると、帆足万里や広瀬淡窓などの教えをうけた豊前・豊後の若者達を中心に、外国のいうままに動く徳川幕府を倒して、天皇を君主とする新しい世の中をつくろうという動きが起こってきました。そして宇佐の地でも、倒幕運動を推進しようとする運動が起きていました。
倒幕派の勝利で終わり、有栖川宮親王を総督とする慶喜征討軍が京都を発したころ、宇佐の地でも倒幕運動を推進しようとする運動が起きていました。その中心人物が佐田村(島原領)の庄屋、佐田秀でした。彼は1866(慶応2)年11月の下毛郡の木の子岳の蜂起に失敗した後、長州藩に逃げ報国隊に入りました。彼らの考えでは、当時山口にきていた花山院家理卿を総裁に推して倒幕の兵をあげ、長州藩報国隊の武力を借りようとしました。そして、東九州の小藩を結成して、日田の西国筋郡代の布政所を陥し、倒幕運動を推進しようとしました。
政府の神仏分離の方針がなぜ廃仏毀釈へぼうそうしたのでしょうか?
それは長年、仏教の力が強く新道が押さえらていた反動であろうと思われます。宇佐だけでなく日本国内の各地でいろいろな破壊的事件がおきました。仏教が排除されただけではなく宇佐宮では神領千石の領地が新政府に返上させられ、経済的な面でも大きな打撃を受けました
廃仏毀釈を乗り越えた貴重な宝。是非みなさまご覧いただきものです
金剛力士像
宇佐神宮蔵
薬師如来坐像(国指定重要文化財)
大善寺蔵(宇佐市南宇佐)
弥勒大仏等(県指定重要文化財)木造阿弥陀来立像
極楽寺蔵(宇佐市南宇佐)
地蔵菩薩
宇佐市長洲浜の下
Негізгі бет 廃仏毀釈(きしゃく)を乗り越えた貴重な仏像 御許山騒動
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