今もなお残る夕張の廃墟群。財政破綻し人口も減り店もほとんどない廃墟マニアにはたまらない町。
石炭の歴史村(せきたんのれきしむら)は、北海道夕張市にあるテーマパーク。 広大な夕張炭鉱の跡地を利用して造られた。 マスコットキャラクターは「ゆうちゃん」。
歴史
1977年(昭和52年)の北炭夕張炭鉱新第二炭鉱の閉山決定に際し[5]、当時の夕張市助役の中田鉄治が構想して「炭鉱から観光へ」をキャッチフレーズとして周囲を説得し、事業が開始されることになったものであった[6]。同鉱に存在した石炭大露頭や旧天竜坑を用いた模擬坑を観光資源として活かした石炭博物館を中心に1978年7月に新第二炭鉱跡地15ヘクタールにて着工された。
1980年(昭和55年)7月に運営母体の第三セクター「石炭の歴史村観光」を設立して同月に一部施設が開園し、1983年(昭和58年)6月1日には遊園地なども含めて全面的に開園した。
構想を立てた中田鉄治は1979年(昭和54年)から2003年(平成15年)まで6期24年間夕張市市長を務め、当事業を含めた炭鉱閉山後の地域活性化策を推進した。
炭鉱の立て坑を模したシンボルタワー[3]や日本で唯一の「模擬坑」のある「夕張市石炭博物館」を中心に、等身大の人形を用いて炭鉱住宅街の様子を再現した「炭鉱(やまの)生活館」や1888年(明治21年)に北海道庁技師の坂市太郎が発見した夕張炭鉱の原点である「石炭大露頭」などが園内に配置された。
大観覧車やジェットコースターなどがある遊園地「アドベンチャー・ファミリー」や2万本以上のバラが咲き乱れる「ローズガーデン」 なども併設されており、年間200万人の観光客招致を目指した夕張市の「炭鉱から観光へ」の象徴であった。
また、野外ステージもあり、「愛・ラブ・夕張1983年コンサート」やレゲエの音楽祭であった「ユーパロ・ミュージック・フェスティバル1990年」の会場にもなった。
当園を運営する第三セクター「石炭の歴史村観光」は黒字とされており、自己破産を申請する直前の2006年(平成18年)3月期決算も同様であったが、夕張市から委託料を受け取って売上を夕張市へ入金する業務委託契約であったためで、2005年(平成17年)度の「石炭の歴史村観光」の売上高は約13.6億円で夕張市からの委託料26.5億円の約半分と実態は大幅な赤字であった。
そのため、2006年(平成18年)6月20日に夕張市長が「財政再建団体」申請を行うことを表明して夕張市が事実上倒産したことに伴い、「石炭の歴史村観光」の運営する施設は例年より早い10月15日から閉鎖されて冬季休業に入り、当時当園を運営していた夕張市の第三セクター「石炭の歴史村観光」は「今後は委託料など市からの収入が見込めないこと」から同年11月29日に札幌地方裁判所に自己破産を申請して破綻した。
夕張市の財政再建策のなかで、当初は閉鎖が予定されていた。 しかし、夕張を支えた炭鉱産業に触れることのできる施設は歴史・資料的価値が高いとして、内外から存続要望の声が多く挙がった。
そこで、2007年(平成19年)に加森観光が指定管理者となり、その関連会社である夕張リゾートの運営で同年4月27日に再開した。
ただし、遊園地「アドベンチャー・ファミリー」は再開されないまま野ざらしの状態が続き、2008年(平成20年)5月から解体を開始、撤去された[21]。
2018年4月28日に2年に渡る改修工事を終え、石炭博物館がリニューアルオープンした。指定管理者は同年4月1日より、NPO「炭鉱(ヤマ)の記憶推進事業団」に移管された。
2019年4月18日23:45頃、「模擬坑道」で火災が発生したと通報があった。模擬坑道では4月27日の今期営業開始を控え、坑道補強のための溶接作業を行っていた。しかし名前は模擬とはいえ、明治時代に使われていた本物の坑道を再利用したもので、炭鉱内に残る石炭や木材に引火したと見られている[22][23]。5月13日、夕張市の厚谷司市長は鎮火したと発表した。
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