水野勝成公の半生を和太鼓で表現!
0:00 水野勝成公の半生
0:20【誕生】
5:21 <生まれる>幼名「国松」戦国の世にたくましく育つ
7:26 <初陣>戦と聞けば血が騒ぐ、自信にあふれた血気のさかり
8:44 <父子の断絶(勘当)>
(勝成)「このままでは水野の家が危ない!」
父の家臣を刀にかけてしまう
(父) 「半兵衛の企みは気づいておった。なにより陣中での斬り合いはご法度である!出て行け!!」
やりきれない藤十郎(勝成)。父に勘当されて放浪の旅へ
9:35【放浪】
10:20 <虚無僧>虚無僧姿に、身をやつし、西国へ
山野に寝起きし、飢えて死にそうになることも・・・
14:29 <仕官>四人の大名へ仕官(佐々成政・小西行長・加藤清正・黒田長政)
戦のあるところ、必ず藤十郎(勝成)の姿あり
舟に乗って備後の地へ
20:35【下船】
22:00 <備後 六左衛門(勝成)>三村家に仕官し、さまざまな経験を積む
人々の出逢いにより六左衛門(勝成)の中に変化が・・・
22:55 <我が子の誕生>戦で奪ってきた命とは、こんなにも尊いものだったのか!?
25:00 <父子の和解>15年ぶりの父子の再会もつかの間、突然おとずれる父の死
27:25【戦い】
27:35 <関ヶ原>徳川家康に呼ばれ大垣城攻撃で参戦。
交渉によって開城、大勝利に導く。水野日向守勝成誕生
30:00 <大阪 冬の陣>放浪時代から勇猛さで知られ、鬼日向として恐れられていた
33:09 <大阪 夏の陣>戦国最後の一戦に風流尽くさんと、先鋒大将であるにも関わらず自ら槍をとる。奔る勝成!大阪城一番乗り!
40:10【備後の地へ再び】
41:07 <初代福山藩主誕生>人は身分ではない。主であれ、従者であれ、それはお互いに信頼しあってこそ世の中はなり立つのである。
46:39【未来へ~自由の風】
【水野勝成公】
福山開祖・福山城築城主・福山藩初代藩主。
永禄7年(1564年)8月15日、三河国(今の愛知県東部)で生まれ、慶安4年(1651年)3月15日、88歳の時、福山で天寿を全う。父・水野忠重(刈谷城築城主)の姉が徳川家康の母・お大の方であることから、水野勝成公と徳川家康はいとこの間柄。
10代半ばのとき、父・水野忠重と共に参加した戦で敵将の首級を挙げたのを始め、
戦となれば一番首を挙げる血気盛んな武将だった。
二十歳を過ぎたころ、父・忠重の家臣に刀をかけたことで勘当され、十数年間あてどない放浪生活を送る。山野に寝起きし、飢えに襲われながら諸国の大名に仕官し、
戦乱の世を生き抜いた。
三十代半ばの頃、父・忠重と和解。その直後、忠重が暗殺され、刈谷三万石を継いだ。
(後に刈谷藩初代藩主となる)関ケ原の戦い、大阪冬の陣・夏の陣でも戦果を挙げ、大和郡山藩主を経て、福山藩初代藩主となる。
この地に新たなまちをつくり、城を築き、「福山」と命名した。
❖よっちゃんのドドスコドン!
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❖原田嘉子ソロコンサート
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【PROFILE】
2008年東京国際和太鼓コンテスト大太鼓一人打ち部門で優秀賞を受賞!
趣味は山仕事。普段はお茶目なよっちゃんも、バチを握れば太鼓バカ
魂をズドーンと貫くその音は唯一無二
Nipponの鼓動表現者として世界を飛び回る!
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