「ひふみ(一二三)祝詞」、平仮名の四十七音(濁音、半濁音を除く)から構成される祝詞ですが、その由来は諸説あり明らかになっていません。
その謎・神秘性から良くも悪くも人々を惹きつけてきました。「曰くつき」ということで安易に口にすべきではない祝詞と言われたりもします。事実、様々な謂れ・解釈がありますが、個人的にその真偽・正統性をここで検討することは致しません(比較検討する過程で、お読みになる方に「心の乱れ」が誘引されるなら それは本末転倒ですから)。
ただ、間違いなく断言できることは「正しく詠唱すれば」間違いなく大いなる言霊の力が授けられるということです。では、「正しい詠唱」とは何か?
この点について細かく指導される方もおられますが、
外せない基本であり、かつ到達点は「心を無にして祝詞の音と同化すること」です。
【祝詞の意味】を考える必要はありません(思考領域を超えています)、一音一音を意識しながら発声し、自らが「神の楽器」のように心身の中心から「音を交響」させることができれば、その神威が体感できるはずです。その神威とは森羅万象・宇宙と交響・同化する己自身そのものです。
その意味では「形式」に過度に囚われる必要はありませんが、畏れ多い存在を前にして最上の敬意を表すにはどういう振舞いをするか?と問えば、正道は外さないと思います。
なお、拍手を打ちながら奏上することが推奨されていますが、個人的には非常に有益だと感じます。この動画では「拍手」を入れていませんが、手拍子を入れながら「全身で楽しく明るく歌うように」奏上するのが最上の「ひふみ祝詞」です。自身が「神の遣い」として神威に「神楽(かぐら)」を奉納すると言うのが近いかもしれません。それ故に「その神楽の音調」と同化することで、神威と一体化する…と。
自らという「楽器=神楽の器」を調律するのは容易ではなく、一朝一夕にできるものではありませんが、日々意識的に詠唱・調律していれば「この感覚!」という自身の調和点に突然導かれるでしょう。
また、「ひふみ祝詞」は3回繰り返した後、「ひふみ ゆらゆら ゆらゆらと ふるへ」と終える形(その内容も論者で異なる)が理想とされますが、上で述べたように「音との交響」こそ全てなので、「形式」はゆっくり整えて行かれるが宜しいかと思います。
繰り返しますが、「無心」が大切です。浄化しよう 邪を祓おうとか願いを引き寄せようなどの考えはひとまず置いておいて、ただただ心静かに「有り難く音と一体化する」ことです。祝詞と同化したその者自身が神器・神域パワースポットとなる、それが「ひふみ祝詞」の神髄です。
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Негізгі бет 【ひふみ祝詞】森羅万象と交響し、宇宙と同化する大いなる言霊の力(一二三祝詞)
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