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【ジョーカー フォリ・ア・ドゥ】○○が賛否の分かれ目!2人の感想は?
Күн бұрын
【ジョーカー フォリ・ア・ドゥ】○○が賛否の分かれ目!2人の感想は?
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シネマサロン 映画業界ヒットの裏側
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Пікірлер: 67
@MrTamakiharu
Күн бұрын
この映画、傑作だと思ったんですが、世間が酷評ばかりで寂しい思いをしていたとろ、竹内さんの評を聞いて救われました。
@tripletto2001
16 сағат бұрын
ジョーカーは死なない、ジョーカーはどこにでもいるという竹内さんの話はちょっと感動してしまいました
@meciter3405
Күн бұрын
私はDC映画とアート映画の両方を好むたぶん少数派の者です。映画には竹内さんとほぼ同じ理由で満足してます。 前作から「現実と虚構が入り混じる作風」だったので今作は最初から注視していたのですが、2回目をIMAXで観たら驚くべき演出に気づきました。この映画、おそらく現実と虚構で画面アスペクト比を使い分けてます。明らかに虚構のミュージカルシーンは全てIMAXサイズで、アーサーの日常風景やジョーカーの最終弁論など明らかに現実のシーンは全て2.20:1でした。自由に広がる虚構と、狭く閉じ込められる現実、というメタ表現かと。 1回目の観覧ではどちらか判別しにくかった現実離れしたシーン(4色の綺麗なパラソル、病院で歌うアーサー、ハーレイがアーサーに夜這い、ハーレイがアーサーの家に行く、法廷が爆破されてアーサーの逃避行など)は全てIMAXサイズの虚構でした。なおハーレイも2.20のシーンがあったので竹内さんの読み通りハーレイは映画内現実に存在してますよ。最後にアーサーが刺される場面は2.20なので現実ですが、一度ジョーカーが腹をピストルで撃たれる妄想を挟んで、再び病院に戻ってアーサーが明らかに死んでるラストショットはIMAXサイズのままでした。つまり「アーサーが絶命して後ろで笑いながらナイフで口を切り裂いてる青年にジョーカーが継承された」のは虚構ということになります。もしかしたらIMAXサイズは単純に「現実ではない虚構」と見なすよりは「ジョーカー的な狂った何か」と含みを持たせて解釈した方がより正しいかもしれません。実はこの二代目ジョーカーが最初に映画に出てくるのは序盤の病院の日常生活で2.20のシーンで、この青年には台詞も何も無い1秒程度のワンショットがあるのですが、そこだけわざわざIMAXサイズにしてました。つまり映画の序盤で画面サイズを使ってジョーカーの継承者を予告していたものだと思われます。
@naosan-choku
14 сағат бұрын
IMAXで観てみたくなりました。
@musclepooh
42 минут бұрын
@meciter3405さんへ 私は池袋のIMAXで観ましたが、確かに上下フルサイズになるシーンが期待以上に多く全編の半分くらいはそうだったと思います。 だから歌って踊るシーンはあの巨大なスクリーンサイズに浸ることが出来て好きでしたねえ。 通常のレーザーIMAXだとこのシーンは少し上下が拡がるわけですよね? だからとにかくどのIMAXで観ても少しは拡がるということで現実と虚構の違いは意味ある差としてわかるわけですよね。 1回しか観ていないので現実と虚構との違いとして区別などしなかったのですが、おっしゃる通りの区別の仕方であっているのではと思いました。 そこで伺いますが独房にハーレイが裏で手をまわして入ってきたというシーンでセックスまでするというあのシーンもサイズが拡がっていましたか? あのシーンは特にのめり込んでみていたせいか((笑))私は記憶にないのですが・・・・ あれが独房での虚構ということならスムーズに全体を理解できますね。 独房に入り込んでセックスまで出来るわけないだろう!と文句を言いながら観ていたので(笑) それなら結局ラストで「息子が欲しかった」と言うセリフにも納得がいくし。 法廷爆破のシーンやあの名所の階段シーンにも納得! こうなるとレーザーIMAXの他の劇場でもう一度見てみるしかありませんね!
@PokoPon-p9r
Күн бұрын
1時間ずっとジョーカーを語る竹内さん!他者に惑わされない独自解説に映画への深い愛情が伝わってきて、心を動かされます。プチ感動です✨フラットな視点、大事ですよね。全く観る気なかったんですけど、観てみようと思います。この動画ホアキンに見せたいです✨✨
@futomak1
Күн бұрын
観たかったものが観れなかったから否定するような感想に溢れているのが残念だったのですが、竹内さんのお話を聞いて溜飲が下がりました。僕も1より2の方が好きです。アーサーにひとときでしたが、幸せな時間が流れたので😢。でも、あれも妄想だった可能性もあるんですよねぇ…。
@このりん
Күн бұрын
アーサーの最後の微笑みがたまらなく良くて、また観に行く
@hana-rf9lj
Күн бұрын
最高に切なく素晴らしい作品でした! 1、2も「アーサー・フレック」の物語として鑑賞していたので、何の違和感もなく心にずっしりと残りました とにかく、ホアキンフェニックスの表情、瞳に魅了されてしまいましたし、どこを切り取ってもアート作品となりますね 裁判での同僚ゲイリーの発言は監督の伝えたい事として強く受けとめました 沢山のことを語り合いたい作品ですね☺️
@japanblue411
22 сағат бұрын
ジョーカーの続編を作った経緯が竹内さんと酒匂さんのミニコントが外れてなさそうなのがこわいですよねw
@ldksjal7skxdgsg.d
Күн бұрын
哀しいけど深くて凄かった!泣きました😭 1より良かった、絶賛派です!😊 周りの映画を沢山見てる友人は、褒めてる人が多い印象です(アメコミとして見なければ)
@naomiyamada7563
Күн бұрын
観た後にドヨン〜とした鑑賞感は結構好きで、ただ面白かったでは物足りないので観てみたくなりました。
@kotarochannel2nd960
Күн бұрын
『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』 良かったです♪ 期待を上回った出来の前作を超えるほどではないですが 続編がしっかりと造られてそれがリアルタイムで鑑賞出来たことに感謝ですw とてもとは言えませんが 良かったと思いますww 最後にこの動画の長さにお三方の熱を感じますw ありがとうございます♪
@元英-f7s
7 сағат бұрын
今回の竹内さんのおはなし、いちいち頷いてました。 竹内さんの見解は今回特に明晰で分かりやすかったです。 リーもジョーカー新派たちと同じく奉りまくって煽って、挙げ句にあんなことになる。 フォリアドゥも竹内さんの今回のおはなしもとても良かったです。 (^^) 自分個人的にはガガ(リー)と看守たちは特に素晴らしかった。 ひげ剃り、テレビを見上げてるシーンはヒリヒリしました。自分も今年の重要な1本になりました。 期待しながら賛否あるのも聞いておきながらワクワクしながら観てました。 上映中は全く賛否がどうだとかは遥か彼方に置き忘れて作品に没頭できました。 ホントに語りあいたい語りがいのある作品です。 ホアキンお疲れ様でした。
@keitagoto
Күн бұрын
コウモリ男に思い入れがないので前作のジョーカーと今回のフォリ・ア・ドゥは2作とも非常に楽しめました。 観に行く前のアメリカでの評価が散々だったので心配しながら観に行ったのですが、始まったら「アーサー」の物語に引き込まれてしまいました。
@RickyBaker_
Күн бұрын
賛否両論なのは、メジャー映画は「共感しやすいもの」を求められてしまうからなのかなーって思いました。でも本来は、批評性こそ、メジャー映画に受け入れられるべきですよね‥😢
@haramaki8
Күн бұрын
アーサー視点の恋愛鬱映画としては普通に面白いと思いました。 深読みどころも多いので、批評家にはそこそこウケるんじゃないかと思ってたら、恋愛鬱映画に理解ありそうな人も酷評していて驚いています。 ミュージカルシーンがいまいち盛り上がらかったのはちょっと残念でしたが、ジョニー・キャッシュが好きなのでホアキン主演の「ウォーク・ザ・ライン」風の夫婦漫才シーンがあって個人的に面白かったです。 ジョニー・キャッシュは「Devil's Right Hand」という歌をカヴァーしているんですが、マザコン感のある男が銃で人を撃ってしまうという歌詞で、ジョーカー第一作やカミュの「異邦人」とか「ボヘミアン・ラプソディ」のような雰囲気があって、オススメです。
@DarRoiseau
Күн бұрын
否を唱える人たちが言う『ジョーカーはジョーカーであって欲しかった』と言われます。ですがトッドフィリップスは前作からジョーカーを怪人でなく人間として描いていたので、このラストはとても腑に落ちました。再び20キロ以上減量して挑んだ役、左右の肩甲骨が非対称に歪むほど酷い状況にあるという掴みからやられました、ジョーカーを殺した男がまた新たなジョーカーになる、これは前作のような不条理な世の中を暴力でやり返す!みたいな連鎖でいいの?と私たちに問うている気がしました。 私は圧倒的に讃でした。
@いとやす76
Күн бұрын
鑑賞を悩んでました。レビュー見てハードル激下げして来週見に行ってきます。
@tokyoR1100S
Күн бұрын
見終わった瞬間は複雑な感情が入り混じってましたが、非常に素晴らしい作品だったと思っています。 一方で賛否両なことも理解できて、予告にあったジョーカーとハーレクインが裁判所の前で信者たちに囲まれて踊るシーンのようなヴィランの復活を見てみたかった気持ちも自分の中に少しだけあるのです。 一本の映画として満足しつつも、仄めかされたもう一つの展開も見てみたいという意味で、すごく印象に残る作品でした。
@takechan-777
Күн бұрын
竹内さんの解説聞いてるとなんかいい映画に思えるようになりました(笑) 送り手は前作でのjoker信者を含めた観客の幻想を破壊するために本作を作ったのだ思います、それだけでそんなに金をかけるとも思えないけどね
@takeshiimaizumi3397
15 сағат бұрын
こう来たかと思って楽しめました。DCとかに思い入れが薄いからでしょうか。自分の作りだした虚像に翻弄されているところとか、サブタイトルからすると、リーもアーサーに影響を与えていて共鳴していたのかなと思いました。
@tontoneg
Күн бұрын
私はこのジョーカー良いと思いますよ
@naosan-choku
14 сағат бұрын
自分はDCコミックに興味はなく前作ジョーカーを「万引き家族」、「パラサイト半地下の家族」と同じ地平の格差社会、貧困が産んだ男の狂気の映画と観ましたので今作も全く違和感を感じませんでした。 ジョーカーファンはリー(ガガ)と悪の限りを尽くす映画を期待したのかも知れないしミュージカル仕立ては不満だったのかも知れない。 フォアキン・フェニックスの人物造形が素晴らしく歌も上手いしタップも本人? 僕が大好きなスタンダードナンバー「BEWITCHED, BOTHERED AND BEWILDERED」(魅惑されて)を歌ってくれたのも嬉しかった。 映画のオープニングのアニメがよくできていて楽しかったのだけれど、この映画のテーマは殆どこのアニメが言い尽くしていたのかも知れない…と思いました。 竹内解説でかなり腑に落ちたところもあったので、少し間を空けてもう一度鑑賞したくなりました。
@かん衛門
2 сағат бұрын
作品内でリー(ガガ)の歌やミュージカル シーンが多いなと感じたのですが、観ているうちにそれさえも、アーサーがジョーカー信奉者にスポットライトを奪われていくことの暗喩と思いました。 賛否の否が多いとは聞いていました。その心情はあの映画内でジョーカー信奉者が傍聴席を去ったのと限りなく近いような気がしてしまったのですが……もしそうであるならそれこそ笑えない、薄ら寒い恐怖を感じます。 前作と同様に重い内容で、未だに不気味に鳴り響く弦の音とアーサーの悲しい笑い声が耳の奥に残っています。
@ガッキー-w2b
16 сағат бұрын
個人的には「否」の感想なのですが、動画の方は楽しく拝見しました。 少なくとも、逆張りとは全く思いませんでした。 それと酒匂さんの、実際に映画を観て確かめてみなければ分からない、というのは仰る通りだと思いました。 この場をお借りして謝罪いたします。私の失言でした。
@mk-od7rt
Күн бұрын
待ってました♩
@halcolors
Күн бұрын
ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ ラストのシーンが唯一の現実で、その後の息絶えるまでの僅かな時間での回想と妄想が本作に於ける物語の全てでしょうね。 前作は公開時に鑑賞済みでしたが、うろ覚えでした。本作は明らかに続編で要所要所で思い出されせてくれる仕掛けもありました。 母と暮らしていたアーサーは愛されてこなくて鬱屈した感情が段々と偏屈化していって産まれたのがジョーカーという人格でした。だから心の奥底では愛されがたっていて、その想いがリーという幻想の恋人として妄想上に現れたのでしょう。 このどこまでが幻想や妄想なのかとの判断は観客次第でどうとでも理解が可能です。きっとそれによって本作の解釈は様々に及びます。
@horimogu2020
Күн бұрын
善悪を超越した自信にジョーカーの魅力を感じますが、一方で生身の人間の苦悩や揺れがアーサーにはあり、私は前作からこちらに興味をひかれていました。そのせいか、たいへん面白く今作を見ました。 御二方が評価してくださり、とても嬉しく、自分の感想に自信が持てました😅
@ゆゆ-h6g3f
Күн бұрын
観てみようかなぁ
@keisukekajiki5077
Күн бұрын
自分が行った回は高校生カップルが二組くらいいたから感想聞いて見たいなあ
@マーヴェ-n9z
Күн бұрын
口コミが酷いので、どれだけダメ映画なのか観てきましたが、思っていよりも傑作でした! 前作もそうだけど、今回のジョーカーは等身大なジョーカーなので愛着も湧いたし好きなジョーカーです。 でも、世間からは前作で悪のカリスマに覚醒したのだと勘違いをしていた観客が大勢いたと思う。 これまでのジョーカーにあった狡猾さやサイコパス感はまるでないし、悪のカリスマには見えませんでしたけど。 社会的弱者が世間から追い詰められ、どうしようもなくなってピエロの顔を借りた犯罪者になってしまった悲しい男の末路だよね。アーサーの中にたまっていたシャドウってことなのかな?
@めたけおら
Күн бұрын
俺は賛なんだけど、WBが何故止めなかったんだろう、と言うのは凄く思います。劇中でアンだけ罵倒されてるし。凄い度量なのか、罵倒されるだけの事はある馬鹿なのか。 俺はアーサー対ジョーカーの話で、リーがヴィラン、つまり本作のジョーカーはリーだ、と言う見立て。 冒頭では、二重人格の枠にはめたい弁護側と、あくまでもアーサーの犯罪だと立証したいハービー側の内、アーサーが味方と観てるのはハービー(これは前作のマーレ―の再話でもある)。 リーに心は開いてない。利用しようと、つまりジョーカーとして名が売れた事によるご利益と見做してる。当然、リーの側も利用しようとしてるのは分かった上で勝てる(アーサーとしてモテるようになる)と思っている。が、早い段階で妊娠の件で一撃喰らう。 法廷でダメージ喰らって忌避してたジョーカーとしての立場に逃げ込み依存する辺りのリーとの攻防が、ミュージカルシーンに度々本作本来の劇伴曲、ストリングスが被さる事で表現される。 挙句、前作で仕込まれていた「加害者としてのアーサー」の立場を突きつけられてジョーカーを演じるのを降りる、事でリーの誘惑に勝ったと思いきや、、、。 なので、俺がショックを受けたのは階段で自分の外側のジョーカー、つまりリーに、今更に縋ったシーンでした。刺されるのはDCファンへの御愛想でしょう。 「みんな道化しか求めてない」と歌うシーン、多くの前作ファンとWBへ投げつけた罵倒が、本作の眼目だと思います。
@ケン-p8v
Күн бұрын
まず、この映画は、ジョーカーの話ではありません。前作も含めて、あくまで「アーサーフレック」の話で、しかも、彼の道を外した瞬間から、最期の末路を描いた2部作でした。 で、ここから、自分が気になった箇所を! ①ジョーカーは「人物」ではなく、「象徴=アイコン」。「象徴」というのは、いつの間にか、誰かが勝手に作り上げた物で、例え、それが実在しようがしまいが、熱狂している人間には関係ない。アーサーは生放送で殺しを行い、格差社会の底辺にいる人間たちから、上級国民たちに対する怒りを表す代弁者とされてしまった。その熱狂は生放送での裁判でも同じく、ジョーカーのメイクで挑んだら、ジョーカーは存在しない。と言われたら、熱狂した信者たちは幻滅することに気づいていない。だが、アーサーはジョーカーという仮面を脱いで、アーサーとして自由になりたい。この違いを理解できなかったのだと、思いました。 ②リー(ハーレイクイン)は、我々である。問題を起こした人物について、起こした問題を追及するのはいいが、その人物の存在自体をまるで子供のオモチャのように無責任に扱っていないだろうか?面白がって近づいて、飽きたら離れていく。例え、その人物の命が無くなろうが関係ない態度している。「中身」をキチンと見てあげているか?面白がるためには、リーみたく平気で嘘、ついていませんか?などと、問われているように感じました。 ③正義とは、果たして何なのか?ハービーデント検事が、アーサーについて追及していた裁判で、我々に見せていた様子は、正義なのでしょうか?もちろん、裁判でアーサーの罪状について追及するのは被害者がいるから、当然です。ただ、その裁判自体、テレビカメラが入り、熱狂的な信者たちが裁判所をとり囲む自体、不自然ではないだろうか?もし、本当に裁きたいと思うなら、最初から傍聴人すらいない完全非公開の裁判にすればよかった。例え、アーサーからの願いであっても、本当に罪を罰したいだけなら、それが可能だったはず。しかも、裁判長が「ショーにするつもりはない」と言いながら、カメラスタッフや傍聴人を退廷させなかった。つまり、アーサーの裁判すら、大がかりなエンターテイメントショーであり、アーサーが自らジョーカーがいないと証言したことにより、判決によって有罪が確定した。で、この判決を言う直後に爆発が起きた。つまり、裁判をエンターテイメントショーにしたことの罰が、法廷に降りかかったのでないだろうか。この裁判に正義があるのだろうか? ④ジョーカーは感染するウィルス。ラストに同じアーカム収容所にいる囚人から刺されて、アーサーは亡くなる。あの倒れ方は、前作のオープニングであった悪ガキに看板を盗まれ、追いかけたら反対にボコボコにされ、倒れた直後にタイトルロゴが出たときと、似ている。つまり、アーサーの物語の開始と終了を表した、いい表現でした。ただ、違うのは、刺されたアーサーの後ろで、刺した人物が笑いながら、自ら口を裂く。つまり、彼が第2のジョーカーになり、年齢からいって、我々の知るバットマンのヴィランである「本当のジョーカー」になるのでないだろうか?だから、「ジョーカー」は象徴でありながら、誰にでも感染するウィルスである。さらに、このことを表現しているのが、裁判所の爆発の直後である。ハービーデント検事の顔に近づいていき、ハービーの顔が左半分、真っ赤な血を流して火傷した顔。右半分がホコリ被っていながら、前の顔のまま。これは、ハービーデントが後に、「トゥーフェイス」というヴィランになる(実写映画なら、かつてトミーリー・ジョーンズや、アーロン・エッカートが演じた)。これは監督なり表現だが、法律の世界にいる人間たちも、一歩間違えれば、裁かれる立場になるし、ジョーカーに感染してしまえば、第3、第4のジョーカーに代われる存在になるという暗示だと考えます。 ⑤虚構(フィクション)から現実(リアル)に。前作「ジョーカー」を公開された後、アメリカではホワイトハウス集団襲撃事件が起き、日本では「ジョーカー」に感化された男が電車内で似た格好をして傷害事件を起こした。さらなる格差はさらに広がり、この映画の前週にはアメリカ合衆国で内戦が起きたらという内容の「シビルウォー」という映画が大統領選挙前に公開された。あと数年したら、本当にテレビ番組で実際に事件を起こす人間がいてもおかしくない。しかも、そういう人物が起こした犯罪が次第に大きくなり、「シビルウォー」のような話になる。ならないとは、確定して言えない。あくまで映画内に抑えていたことが、次々に現実へ侵食してくるだろう。「フォリア・ドゥ」では、アーサーの知らない間に「ジョーカー」は映画内現実に侵食し、次々と多くの人を感染させていった。明日には、どこかの国。いや、日本でも「ジョーカー」を産み出しているかもしれません。ちなみに、日本ではすでに「貞子」という映画内キャラが一人立ちして、映画の世界から現実に侵食してますが……! 最後に、シネマサロンという、この映画チャンネル。作品によっては、かなり過激な意見を皆さん、言われることがありますが、果たして、その意見。どこかでジョーカーを生んでいると考えているのか、いないのか……!
@マーヴェ-n9z
Күн бұрын
赤サングラスの男の方がジョーカーよりも、はるかに狂気を感じた。 シビルウォーになったら、ジョーカーどころじゃない! もっとヤバい奴らは世界中にいっぱいいそうだ…
@tk-hsad
Күн бұрын
20キロ位減らしたそうですね 前作それほどハマらなかったので過度に期待せずに観れたのが良かったです 前作見終わった時これバットマンに絡めていくのかなぁ?と思ったけど完全に前作を閉じる作り ジョーカーがアーサーに戻る 独立した二作だったんですね 楽しみました
@本格派にわか仕込み
Күн бұрын
私もシンプルに面白く観れてしまったんですけど、たしかにアンチが増えそうだし、よくこのお話で会社の偉いヒトがGOを出したよなー、て思いました。 とは言え、私もジョーカーとハーレイ・クインがもっとハチャメチャに大暴れする様は見たかった...w 正直こちらのミュージカルパートがあんまり楽しくなかったですし... でもでも、私の中では、真のジョーカー(ヒース・レジャー?)は別にいて、前作終盤の暴動も今作の爆破とか暴動はそいつが煽動してて、リーはその真ジョーカーから派遣されてたのでは?て思っているのでメチャクチャ楽しい作品になっていますw
@nanashi445
16 сағат бұрын
吹き替え、字幕で計2回の観賞で終了しました。 爆破シーンでお金使い過ぎたのかな?
@野村香織-y7c
Күн бұрын
酒匂さん、脱獄してちゃんちゃんじゃなかったですね😂
@青木聡-g8v
Күн бұрын
要するにあのラストは「デウスエクスマキナ」?
@めたけおら
Күн бұрын
後、どいつもこいつも、、、!という作り手たちの本音かと。
@popo3151
Күн бұрын
遅れてしまったのでここで言及させて下さい。【シビル・ウォー アメリカ最後の日】IMAXで観なきゃです!今年自分のベスト級。めちゃめちゃ面白かったです!ヘリコプターから爆撃するシーン、かっこよきです!(あくまでも映画に対しての感想です)ショットを挟む演出も印象的でした。最初慄いている新人カメラマンの少女が徐々に戦場の狂気を撮る事に生き甲斐を感じ。。。松田優作主演の怪作『野獣死すべし』の狂気な戦場カメラマンを想起しました。ラストシーンも余韻を残し好きです。
@THONDA-vn5fk
Күн бұрын
終始、浮かない酒匂さん。シネマサロン三者中、映画で商いをしている視点からですかね…自分は、やっぱり、最初から竹内さん視点でした。本国や外国は、DCの世界観を求めているのかもしれませんが、自分には、前作や近作のバッドマンが提案された時点でコミックから離れた世界観だと感じていましたし、前作でジョーカーの悲哀、やるなせなさに完全に魅了されたので観る気満々でしかもIMAXを選択し、鑑賞してきました。鑑賞後感も鑑賞中も終始竹内さんと同じ気持ちでした。映像、綺麗で素敵でした。ホント、あの雨のシーンや法廷のシーン、スタンダードナンバーの歌唱シーン、もう、もう…という感じで。 ホアキンが演じるジョーカーが好きで、前作から全く変わらない姿で演じてくれた事に感謝でした。 剃刀シーンのヒリヒリ感は、亡くなった父親が一番怖いのは、床屋で髭を剃って貰う時だと語っていた事からもひとに剃刀を任す怖さもあり、なかなかこわ〜と。 でも、ラスト法廷が爆破されるシーンでここは、ゴッサムシティなんだと思わされました。暗くて、決して社会がきれいな街角ではないこと。コウモリ男が出てきてもおかしく無い世界では、ある部分は、コミックの世界観は、踏襲されてる事に感心しました。 竹内さんのジングル好きでした(笑) あと、Tさん、酒匂さんはジングル後、「ネタバレでーす」と言うのは、お約束になったのでしょうか。 万人には、受け入れらなくてもすぐに配信になっても良い一作でしたし、ますます前作が愛おしくなりました。
@真田ひろ
Күн бұрын
前作の時点で大半の観客はアーサージョーカーの虚像と実像は百も承知なので、そこの答え合わせの続編をやった所で、まぁそうなるよな。としか思いませんでした。少数の過激な観客への戒めを意識しすぎたのが大コケ、酷評の原因ですね。どうせ続編やるならあのジョーカーがバットマンのライバルになるのが観たかったなぁ
@ラッコ-p3c
14 сағат бұрын
お二人の感想を聞いて、面白くなかった。。はダメなのかなぁ〜って気になってしまいました。。 まだまだアマちゃんですネ。。
@伊藤禎-v9j
Күн бұрын
私は賛です。 この映画は映画についての物語だと思いました。 観客を堕落させることもできるし、戦争に駆り立てることもできるメディアであると同時に、死のうと思っている人間や疎外されていると思っている人間に救いを与える事もできる。 前作と今作で1本。どちらが表でどちらが裏かがその都度捉える人によって目まぐるしく変わると思います。 ハル・デイヴィッドとバート・バカラックは本当に素晴らしい曲を書いたなあ、と改めて思いました。 どちらにせよ、映画を観るためだけに私たちは生きている訳ではなく、映画とは実人生が豊かになるための一助であるものだと私は思っています。
@ちゃんたら-x4p
Күн бұрын
10/17山形フォーラムで「【字幕】ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」を観てきました。 前作はもちろんバットマンシリーズ、DCなどすべて観ていないのですが観てきました。普通の人間が環境や扱われ方によって殺人者になり、ジョーカーという架空のダークヒーローに祭り上げられて苦悩するという話として見ました。ところどころに入るガガ扮するリーという女性と繰り広げるミュージカル場面が夢なのか妄想なのかわかりませんがこれをどう受け止めればいいのかわかりませんでした。アーサーがやっと理解してくれる人ができたと思ったのに彼女はジョーカーというヒーローを思っていたというなんとも悲しい結末でした。果たして私たち普通の人間もジョーカーになりうるのでしょうか。
@籬桃代-b7u
Күн бұрын
また酒飲んで観に行ってしまってほぼ寝ちゃったんですよね…何も分かりませんでしたw 予想とまったく違う作品ではありました。酷評という前情報、聞かなきゃよかったですね。
@tripletto2001
16 сағат бұрын
映画業界の人は映画知らないwwwwww
@ガッキー-w2b
Күн бұрын
56:05 前作にそんなシーン、ありましたっけ…?
@安井敏樹
Күн бұрын
😮うん、違う作品じゃないかな?ザ・バットマンとか。
@김신-e9k
Күн бұрын
ジョーカーではなくアーサー・フレックの物語だと思いました。周りの熱狂は教祖を祀り上げるオウム真理教の選挙戦を見てるようでした。 ジョーカー≒麻原◯晃、アーサー・フレック≒松本◯津夫
@TokuoShimizu
Күн бұрын
酒匂さんに同感。誰も期待していない物語を、これほどのお金と手間をかけて作り上げるとは。メジャーのプロデューサーがよく許したものだと感心してしまう。 冒頭のアニメと、劇中歌の歌詞がイヤというくらいに全てを説明しちゃってて。ガガ と ホアキン の歌と絵力で辛うじて観ていられるが、アンチクライマックスな法廷劇を寓話とミュージカルで粉飾した感じ。前作に対するアンチテーゼだとしたら、痛々しいくらいの制作側の自意識過剰。 気持ち良いくらいの、今年のワースト。
@ワンパンマン-f2b
Күн бұрын
内容的にはここまで酷評される作品ではないし、つまらなくはないけど、ただレディー・ガガとミュージカル調がノイズでしかなかった。後、ホアキン・フェニックスが心配になるわ、ジョーカーではあんなに痩せてボーではあんなに太ってるから
@route1937
Күн бұрын
アメリカでは爆速で2週目、興収落ちてますね(4千万ドル→7百万ドル)。 私も週末に観ましたが、ミュージカルなのがねえ。ガガ様は良かったけど。 よくできてるんでしょうけど、まあ、私好みではなかったです。 賛否が多いと言うのは知らずに観ました。予告編のみですね。
@AKIRA-b6b
13 сағат бұрын
アメリカでの史上最低の映画とのレビューを見て 映画館に行くのをやめました😢
@cinemasalon
4 сағат бұрын
レビューに惑わされずに、ぜひ劇場でご自身の目でご確認ください!
@harelisawa8396
Күн бұрын
ジョーカーなのに弱すぎます。ハーレイとの力関係もジョーカーらしくありません。 薬品タンクに落ちる前のエピソード1にしては、2人ともトウが立ちすぎているような? 過去の話なのにマーゴット・ロビーよりレディ・ガガの方が年上なのがちょっと?
@マーヴェ-n9z
Күн бұрын
歴代ジョーカーにあった狡猾さやサイコパス感がまるで無かったし、悪のカリスマには見えないよね。
@bcd798
Күн бұрын
レディガガって女優とかしないで、歌に専念したほうがいいと思う。歌手なんだから。 外見がチャーミングじゃないんですよ。顔が可愛くない。 この映画、恋愛ミュージカルでしょ?お金払って映画観るなら、かわいい女優さんをみたいですよ。 「ニューヨークニューヨーク」のライザ・ミネリ、かわいいでしょ? 「スタア誕生」のバーブラ・ストライサンド、かわいいでしょ? 「ラ・ラ・ランド」のエマ・ストーン、かわいいでしょ? ミュージカルとか恋愛映画のヒロインは顔が可愛くないとダメ、歌が上手いだけじゃダメ。
@亀丸少年
21 сағат бұрын
賛否両論とか、そもそも?😵 他人がどんな評価しようが、先ずは、自身が鑑賞して、どうだったか、それに尽きますね、僕は。 と言いながら、僕は未鑑賞のまま、この動画を視聴ということに😅
@亀丸少年
21 сағат бұрын
この作品より、鑑賞したい作品が豊作の秋なので、手が回らないまま、今に。
@toretoretore916
Күн бұрын
私は今作はイマイチでした。 理由は、アーサーが法廷最後に証言を変えた心変わりに、アーサーとしての一貫性を作品として感じさせられていなかったと感じたからです。 そして、その不自然さは、(映画の内在性から出てきているのではなく)前作に対する外の世界に影響されて、映画の内容を外から歪めてしまったところに起因していると思われました。 私は、(ジョーカーを過度に肯定するにしろ、過度に否定するにしろ)前作の外の世界の影響に屈した時点で映画の敗北だとの感想を持ちました。 (一方で、私自身は現実にも現れたジョーカー信奉者のようなテロリズムに対して、現実では心底否定的な立場です。) 終盤の法廷で、アーサーとジョーカーは精神的に分離している精神病だから罪に問えないと(つまりジョーカーのカリスマ性の否定)の主張の弁護士をアーサーは解任し、本人弁護でアーサーとジョーカーが一貫している(すなわちカリスマ殉教者として死罪を受け入れる主張になる)との主張をアーサーはジョーカーのメイクで法廷で展開します。 その証言内容がTV中継を見ていた看守たちの怒りを買い、刑務所に戻ったアーサーは看守たちに暴行され、あげく自分を信奉していた若い囚人がその時にその看守に殺される声を独房で聞きます。 アーサーが心変わりしてジョーカーの存在を法廷で否定したのは、その看守の暴行と若い囚人の殺害に遭遇した後の出来事だと記憶します。 しかし、私はこれは変だなとは思われました。 なぜなら、アーサーは、幼少期からの虐待や周囲の無理解の積み重ねによってジョーカーになっていて、であるなら、さらなる看守の理不尽の暴行や自身の身近な若い囚人の殺害によってジョーカーの存在を否定する考えに至るのは、アーサーにとって一貫性がなく不自然に思われたからです。 アーサーが証言をひるがえす心変わりの理由は、映画やアーサーとしての一貫性のためにもっと強い何かが必要だっとと思われます。 今作への批判や酷評は観客が思っていたジョーカー像が否定されたからだ、という主張もいくつか見かけました。 しかし私は、今作に対する多くの観客の批判や酷評は、理想のジョーカー像かどうだかではなく、映画の内在性から自然に求められるアーサーの心の動きとは異なる最後の証言のひるがえしに対して、不自然に感じたのが理由だと思われました。 また、今作でジョーカーではなくアーサーを描きたかったのであれば、ジョーカーを信奉しているリーとのミュージカル調含めたエピソードを中心に描くのではなく、アーサーの人物像の方を掘り起こす物語構成にする必要があったと思われました。 リーはジョーカー信奉者の象徴であるのはその通りですが、映画の大部分をリーとの関係描写に使い、結局はリーはジョーカーしか見ておらずアーサーを見捨てる存在として描きたかったのであれば、この映画は、初めからアーサーの実存的な生き様を描く映画というよりも、リーに投影したジョーカー信奉者を否定するための映画だった、との結論になろうかと思われます。 すると、私達が映画を信頼している理由だと思われる、多面的重層的で功罪があり、一筋縄ではいかない関係性の中でもがく人間そのものの内在性から来る存在の肯定でなく、今作は、前作で起こった(肯定的にしろ否定的にしろ)外野の反響におもねった、人間存在の否定の、不自然な帰結の映画になっていると思われました。 なので、一般の観客の多くは、ジョーカーが肯定されているかそうでないかといった表層的な話をしているのではなく、もっと深い、本来の人間存在の一貫性ある肯定をしているのかそうでないのか、に反応して、今作を批判し酷評しているのだと感じました。 仮に、アーサーの物語にするなら、アーサーを理解する人物配置や、仮にそれが出来ないのであればアーサー理解者のいないという意識した物語構成が必要だったと思われます。 そこから考えるとジョーカー信奉者のリーの配置の偏重さは不自然過ぎると思われます。 私はジョーカーの信奉者のリーとの関係にほとんどの時間を割いて、最後にリーはアーサーを見ていなかったとの描写は、アーサーやリーの人間存在(の肯定や、いわれなき圧殺、あるいは存在を肯定した上の批判)を描いていたというより、ジョーカー信奉者に対する外野的価値観からの否定に重きが置かれた、私にとっては悪趣味な映画になっていると思われました。 つまり、アーサーの物語というより、アーサーを利用したジョーカー信奉者否定プロパガンダになっていたということです。 (たとえジョーカーを否定した物語であっても、初めからアーサーの一貫した存在肯定の映画になっていれば、多くの人が別の意味で称賛した映画になっていたと思われます。) 映画は、外の世界の圧力に屈して人間の存在を潰してしまっては、映画そのものの内在性の否定なのではないでしょうか? そしてそれに対する異議申し立てを今作に対して批判や酷評を通して伝えようとしている多くの観客の感性は、深く正鵠を射抜いていると私には思われました。 もちろん、その今作の酷評や批判は、根源的なこの映画に対する人間存在を外野の価値観に明け渡し歪めようとしている本質を否定的に突き刺しているのであって、その描写自体に全く見るべき点がなかった訳ではなく、見る価値が全くなかった訳ではなかったとは私も思われています。 しかし、直感でこの映画はダメだつまらないと感じた多くの観客は、惑わされず、その自身の、自身に限らず様々な人間存在を肯定したいという根源的な感性を、最後まで信じてあげて欲しいなと思われました。
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