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角野 美智子氏 × 笹森 壮大「親子のワクワクが子どもの才能を伸ばす」
Күн бұрын
角野 美智子氏 × 笹森 壮大「親子のワクワクが子どもの才能を伸ばす」
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花まる子育てカレッジ
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Пікірлер: 17
@mopmaster
10 ай бұрын
もう少しお母さまのお話が聞きたかった・・・
@内田みどり-c8x
2 жыл бұрын
私の師匠の格言「素直な心が才能を伸ばす」🍀🍀🍀
@f-fam5688
2 жыл бұрын
個人的に思う事ですが、最近の子はそれぞれ「個」が立ってきてる。良いことだと思うし、同時にあまり比べて競争しない、自分はあわないからいいや、と諦めやすい傾向もあると感じます。 もともとそこへの興味に火が付かない子もいるとそこまでだろうし、ある程度のレベルに到達する前に面倒がったり、逆に能力あっても期待を負担に感じて辞めてしまう子もいます。 その子その子の見極めが大切と思うとともに、素直に「そうなりたい」に向いていける好奇心、集中力、持続力がある子は強いだろうなぁと感じます(スポーツは持続して続けられる身体と練習量と諸刃の剣的な感じがして、努力だけではない気がします)
@よしこ-u7e
3 жыл бұрын
何事も、目標を持って やる気とワクワクすることが大切だと 思いました。
@柳橋忠
13 күн бұрын
❤篠森壮大❤角野美智子✡️音楽学ぶ為の大切✡️な素晴らしい解説を真心込めユウチユウブ世界迄お届け有り難う御座います
@Fr-is6zk
Жыл бұрын
最後の、大人の親が同じように音楽に感動しているから子供も感動する、という話は興味深いですね。 子供の興味関心を伸ばす上で親、家族との関係はとても大切だと思います。 子供は親との一つ一つの会話の積み重ねで価値観を形成していくので親が子供に対してどのような問いかけや反応をするか、が重要だと思います。でもそれは意識で簡単に変わるものではなく、子供が何かに深く感動してもそれを親がキャッチできずに次第に子供の興味も失せていく、という残念な事が起こることだってあると思います。
@マエムキオ
3 жыл бұрын
もう20歳超えてしまったから、複雑な気持ちになるな…こんな教育者に出会いたかった。
@erikasono565
2 жыл бұрын
勉強するのに遅すぎるということはありません。 一番大切なのは、何歳になっても、自分で自分の能力を育てられる、自分が自分自身の最高の教育者になることだと思います。 - 母がドイツ留学中の私に会いに来たいためにドイツ語を習い始めたのは、還暦過ぎてからのことでした。 私もその年齢に近づきつつありますが、ごく最近になって、楽譜上ではピアノ伴奏の形で書かれているドイツリートが、実際には戸外で演奏するために、ツィター(オーストリア、南ドイツの民族楽器)やギター、マンドリンなどで演奏されていたことを実感しています。 たまたま、ドイツの骨董店で、様々な種類のツィターやマンドリン、ギター、それにロシアの民族楽器であるバラライカやグースリを入手したことがきっかけで、自分で楽器を手にして弾いてみると、思いがけない発見かたくさんあって。 - 私のドイツの恩師は、85歳で亡くなるまで、好奇心旺盛で若者のように頭が柔軟な方でした。 あの世代の人文科学研究者にしてては驚異的なくらい、コンピューターなども使いこなしていらっしゃいましたし。
@kiyomiono2095
Жыл бұрын
はじめまして😂日本の和楽器琴からお稽古始め~オルガン~ピアノ~子達は、クラシックguitar~ドラム~シンセサイダ~そして心臓にパンチのheavy metalrock '😅♪めだかの学校は♪川の中♪誰が生徒か先生か皆で御遊戯しているよ♪情緒教育は大事ですね。わくわく🌸
@幸福の情景
3 жыл бұрын
会社の仕事でも、自分から自発的にやりたいと思ってやることで、やらせるよりも10倍の成果が出ます。やりたいと思わせる環境作りが一番大切です。
@erikasono565
3 жыл бұрын
それ以前に、自分が一番やりたいと思うことを仕事にすることが大切。 教育は大学まで十羽一絡げのトコロテン・エスカレーター式、学生時代から就活に明け暮れ、新卒一括採用・終身雇用の日本では、それが難しいのがまず問題なのでは? ***** ただ、私の場合には、60~70年代の日本の公立小学校で、担任教師と親の公認で、卒業まで授業は一切聴かなかった。 そもそも勉強する習慣がなくて、宿題を家に持ち帰ったこともなければ、家には参考書の類もない。もちろん塾にも通っていない。 つまり、徹頭徹尾、カリキュラム無視、やらされることを拒否して、やりたいことだけをやっていました。 義務教育だから仕方がないということで、学校に行くだけは行って、他の人の邪魔にならないよう、授業中は好きな本を読んだり、詩や曲を書いていたり。 - 当時は何とも思っていませんでしたが、よくそれで担任教師が納得したものだと、今考えると冷や汗が……。(笑) でも、それを黙認してくれた日本の公立小学校は、まだまだ捨てたものではないと思いました。 ちなみにペーパーテストはすべて満点でしたから、成績は良かったのですが、私立中学校を受験する際、「授業も聴いていないくせに。私は内申書を書きませんからね」という担任教師と親がもめて、結局、予備校の模擬試験2種類と通信教育のすべてで毎回志望校の合格圏内に入っていたら内申書を書くということで決着したようです。 - 話は簡単で、早熟な私は、小学校入学時点で大人並みに読み書きができたから、小学校の教科書は、貰ってきた日に通読して内容を理解し、翌日、学校に持って行って机の中に放り込み、後は省みなかったというだけの話。 子供の能力は千差万別。得意な科目も進度も違う。 だから欧米では、入学年齢は6歳とは限らず、5歳でも7歳でもいいし、科目別に飛び級や落第があり、9歳で大学に入学してしまう子もいる。 就職しても合わないと思えばどんどん転職するし。 何でも人に合わせて集団で、という日本のやり方には無理があると思います。
@mashatomi734
2 жыл бұрын
音楽教えるのも大事だけど集中力を鍛えるトレーニングもした方が良いと思う
@erikasono565
3 жыл бұрын
角野隼斗さんのお母様が話すのを初めて聴きました。 「難しい課題を最初から与えて、親がついてこられないレヴェルにしてしまって、子供に有能感を与える」って、それは隼斗さんだからできたことなのでは?(笑) - 隼斗さんは、最初お母様に手ほどきを受けてから、別の先生に師事していますよね? 私は隼斗さんが師事した先生が、音楽教室を開いたごく最初期にピアノの手ほどきを受けているのですが、この先生の場合には、「優しくて寛容」を絵に描いたような先生でしたね。 もちろん、牛田君や角野隼斗・未来兄妹のようにピアノが上手でコンクール入賞を狙えるような子が育てば、先生も嬉しいし可愛がるのは当然。 でも私が師事していた頃は、ごく最初期だったということもあり、ピアノ科志望ではない、普通にピアノを趣味でのんびり習っている近所の子が多かった。 だから、先生の方も、ピアノ三昧の生活を生徒に強要するほど宿題をたくさん与えて厳しく指導していたわけではない。 - ただ、私にとって本当にありがたかったことは、先生が、ピアノのレッスンより早めに来させて、待っている間に楽典問題などを解かせ、ピアノのレッスンの合間に聴音書き取りや新曲視唱まで要領よく教えて下さったこと。 私は小学校高学年で転居のためにその先生の許を離れて、転居先で音大付属の音楽教室に通いました。 その音楽教室は、音大そのものがプロの演奏家を育てるというより、家庭に音楽を入れることを目的としていたので、のんびりした雰囲気ながら、ソルフェージュ教育はきちんとしていました。 ピアノだけを習うことはできず、まずグループレッスンのソルフェージュのクラスに登録し、オプションとして個人レッスンで楽器を習うという形。 そこで、ソルフェージュのクラス分け試験を受けるのですが、幼稚園児で幼稚科、小学校からは能力別に初等科、中等科、高等科と進むのに、私は小学校高学年で初等科最終段階に編入された。 つまり、幼稚科から積み上げてきた人とそれほど遜色ないクラス。 その後、音楽教室をもつ大学音楽科と同じ系列の私立中高に進学する頃には、ソルフェージュのクラスも中等科に進みました。 - このことが、高校に進学してから、急に音大受験を目指した際に役に立った。 もちろん、音大受験を目指してからは、生ぬるい趣味の音楽教室ではなく、志望大学のソルフェージュ科講師が開設していたソルフェージュ教室に通い、ピアノ、作曲、音楽学と、全て志望大学の講師に師事。 入試ではソルフェージュができないだけでも落ちることもあるので、子供が興味をもつまでやらせないで放置ということで、高校に入ってからソルフェージュのクラスに通っていたのでは、恐らく受験は失敗していました。 - ピアノもそうですね。ピアノ科に進学してピアニストを志すのでなくても、音楽に関わる時には、ピアノは必須の基本教育。 ですから、将来音大等に進学して音楽に関わるかどうかも分からない子供を前にして、必要以上にピアノ三昧の生活を強いて子供の将来を先生が決めてしまうのではなく、かといって、先に行って始めたのでは間に合わないような基礎的な音感教育などはおろそかにすることなく、きちんと基礎的なことは教えて下さった。 私はピアノは下手な不肖の弟子なのですが、なるほど、こういう先生だから、ショパン国際コンクールのファイナリストを何人も育てられるのだなぁ、と関心もしたし、改めて感謝もしています。 - ちなみに私の兄嫁は、私立音大ピアノ科をとりあえず出ているのですが、さして積極的にピアニスト活動や教育活動をしているわけではない。 彼女の場合は私とは逆で、おばあさまが音大ピアノ科卒だとのことで、3歳くらいから音大教授に師事したらしい。 中学からは私立音大付属中高で学び、そのまま音大ピアノ科に進学。 つまりピアノを弾くことが当たり前の生活を幼少時から送ってきて、中学段階からエスカレーター式に大学まで通っているから、一度も一念発起して自分で音楽と向き合ったことがないんじゃないのかな、と。 音大付属中高から音大に進学しているから、世間の風に当たっていない、良くも悪くもおっとりしたお嬢さんで、素直だから、お嫁さんとしてはいい人です。 でも、こういう風に育ったら、コンクールを勝ち抜いてプロのピアニスト活動に、とは恐らくは思わない。 尤も、私や兄嫁がピアノを習い始めた頃は、ピティナコンクールが始まる前の60年代ですから。 子供をやる気にさせるという意味では、確かに幼少時からピティナコンクールを受けさせて刺激を与えるのもいいのかもしれません。 でも、それも子供に依りますよね……。(笑) ピアノの才能はなくても、他の才能はあるかもしれない子に、ピティナコンクールを受けさせ続けたら、多分離反するもの。 子育ては難しいです。 - 「難しい課題を最初から与えて、親がついてこられないレヴェルにしてしまって、子供に有能感を与える」というのも、親にも依りますよね。 我が家の親兄妹なんて、誰も音大なんて出ていないのに、私が音大を大学院まで出ようが、留学しようが、決して私の優越性なんて認めなかったもの。 幼少時から、ピアノの練習をしていれば、母がキッチンから飛んできて「もっときちんと練習しなさい」と叱るし、副科独唱の練習をしていれば、「あら、糠味噌の蓋、閉まっていたかしら?」(そんなへたくそな歌を聴かされたら、糠味噌も腐る)と。 留学後も、散々なことを言われ続けています。それがいいのか、悪いのか(笑) まぁ、私の場合には、小学校卒業まで授業を一切聴かなかったくらいで、周囲が何を言おうがマイペースだから。 私みたいなタイプの子には、ピティナコンクールのようなところで他人と競わせるのは逆効果かもしれません。 その意味では、「他人と同じことをしなくてもいい。競わなくていい」という我が家の教育方針は、私には良かったのかもしれませんね。
@erikasono565
3 жыл бұрын
@@Ma9riko9 お金を払ってでも私の長いコメントを読みたいと仰る方が結構たくさんいらっしゃいますのでね。(笑) ご自分の読解力に自信がない、或いはスマホなどの小さな画面で読んでいるから長いコメントは読みたくないという方は、読まなければよいだけのことでは? - ちなみに、KZitemのコメント欄は、私がアカウントを作成した当初の2012年時点では、1回のコメントの字数制限はもっと遥かに少なかった。 当時は私は主としてドイツ語で書き込んでいたのですが、日本語の動画、ないしは日本語字幕の動画で、内容が知りたいからドイツ語や英語に訳してくれという要望が多くて。 全訳すると、20~40ものコメントを連続投稿することになる。 そうこうしているうちに、KZitemのコメントの字数制限が大幅に拡大されました。 ですので、長いコメント投稿は、KZitem投稿規定には違反しておらず、望まれていることも多いのであしからず。 - そもそも、今どきの日本の若い人達は、長文読解力がなさ過ぎます。 我々が教育を受けた60~70年代は、日本でも、頻繁に作文を書かされたり、日本語と英語の長文速読の訓練を受けたものですが? 今でもドイツの大学の日本学科の学生たちは、基礎のゼミ段階で、日本に関する本を最低50冊読まされるそうです。 ドイツでは、1つのゼミに対し、何十冊もの本を読み、発表分担をこなし、30~50ページ程度のレポートを書かなければ単位は取得できません。 代返、モカイ、レポート・卒論代筆が横行して、トコロテン式に大学を卒業し、就職してから企業で日本語研修から受け直させられる今の日本の若い人達とは出来が違います。
@wakanekomaru
2 жыл бұрын
開成に来るような子は課題を与えるとスラスラと親のレベルをこえちゃう子ばかりですよ(笑)。 角野隼斗さん、対談で合気道は1週間で辞めたと言っていましたので、開成の運動会とかは余り好きでなかったのかもしれないですね。
@f-fam5688
2 жыл бұрын
要約すると、ご自身の納得いくレッスン環境で実力もついて、ご家庭の方針も合っていたというサクセスストーリーって感じですね。 角野さん宅の方針で実がなったお子さん。 逆方針で良かったコメント主さん。本当に人それぞれですね。 良かれと思ってやった事、あえてやらなかった事も子供にとっては薬にも毒にも作用し、またはなんともない事にもなる。一概に言えませんね。結果論です。 一番いけないのは、周りが揚げ足とるように結果の悪い点をついて母親を責める事と思います。 最近よくみられる傾向です。
@erikasono565
2 жыл бұрын
@@f-fam5688 角野さんの場合には、社会的にもサクセスストーリーなのでしょうが、私の場合には、決してサクセスストーリーではありません。 音大受験時代、作曲の先生から、「浪人して予備校に通って、自分が勉強したくないことをいやいや勉強する経験も大切かもしれないよ。人生、自分のやりたいことだけやっていればいいわけじゃないから」と言われてしまいました。 その先生、教授として奉職していた私立音大作曲科が改編されて作曲科が消滅したため、お父さまの後を継いで、芸大ソルフェージュ科講師たちがソルフェージュ教室を開いていた都内の芸術幼稚園園長に納まっています。 尤も、芸大ソルフェージュ科講師や、作曲活動は続けていらしたのかもしれませんが。 - 私の場合には、専門の研究分野では世界最高峰と言われた方のもとに留学し、ウィーンに足掛け15年資料研究滞在して自筆譜研究に邁進していましたが、結局、研究内容が特殊過ぎて、日本どころかドイツ・オーストリアにもそれを生かせる場がなかなかない。 それどころか、欧米の研究者も、テーマを聴いただけで逃げ出してしまうありさまで、指導教授急逝後は、理解してくれる人が世界中にもほとんどいない。 国際学会でも何度か発表はしたのですけれどもね……。 ですから、学んだことが仕事に生かせているか、社会的に成功しているかと言えば、ノーですね。 - ただ、三十年余、その分野で世界最高峰とされる方と隔週会って、教授が研究の最先端で難題にぶつかっていることについて意見を戦わせ、そのうち教授が「きみがウィーンに行って資料を見てきて問題を解決してよ」と言い出し、ウィーンからも毎月ドイツの研究所に戻って報告し、また意見を戦わせるような生活は、最高に楽しかった。 ドイツの大学の外国人客員研究員という肩書ながら、実際には無給で使い潰されていましたから、体よく利用されていたという見方もできます。 だから私は決して成功者ではないし、一番苦労していたのは親兄弟。 ***** でも私のように、小学校の初日の授業でつまらない授業を無視して先生に叱られて「明日から学校には行かない!」と抗議のストを起こすような人間は、親が育て方を間違っていたら、登校拒否になって人生を棒に振っていたと思うのです。 私のような人間は、人と同じことを強要されて、普通に会社などに就職して組織の歯車になるような生活には耐えられないから、学歴だけ見ればよさそうに見えても、潰しが効きませんし。 社会的には役に立たない、高学歴プアになる確率が非常に高いタイプです。 - そこを見抜いて、「学校は授業を聴きに行くところじゃない。友達と仲良く遊んで集団生活、社会生活の訓練をするところなの。先生にはママから話をしてあげるから、授業なんて聴かなくていいから、学校は行くだけ行きなさい」と言って、敢えて私の個性を伸ばそうとした母は凄いと思います。 同じ立場で、そう言える母親はなかなかいないのではないでしょうか? 但し、母は児童心理学、幼児教育を専攻していて、保育士、幼稚園教諭、小学校教諭の3つの資格を所有しており、結婚前は都内の芸術幼稚園教諭を勤めていました。 また、両親は中高の同級生なのですが、母曰く、「パパは高校卒業まで授業を聴いていなくて、それでも先生に120点あげたいと言われていたもの。あの人の子なのだから、そのくらいのことはあると思っていた。」のだそうです。 そう思うと、世の中には、親や先生の無理解のために能力を見出されずに潰されている子が、実は非常に多いのではないかという気がします。 ***** とはいえ、母は私にばかり好き勝手なことをさせたということで、特に父亡き後は兄妹に散々責められているようです。 我が家では、なぜか兄妹は良くも悪くも平々凡々で、私と違って社会生活には見事に適応しているので。 - ちなみに、羽生結弦さんも、ソチ・オリンピック後から「どうしたらこんな子に育つの?」とよく訊かれたようです。 彼の場合にはお父さまが教育者(中学校の校長先生)で、お母さまは、常に羽生さんのいいところを見て、「結弦ならできるよ」と言っておおらかに励まし、やりたいことがあれば絶対的に味方になってくれて、他人が批判することがあっても笑い飛ばすような方だったらしい。 池田理代子さんなどは、幼少時は何をやっても遅くて出来が良いとは決して言えなかったのに、お母さまが「この子は時間を掛ければ普通の子以上にできる子なんです。」と言って信じて下さっていたらしい。 そして、地面に絵を描くのが大好きだった池田さんに、様々な芸術教育を受けさせて下さったそうです。 その池田さんが、教育大学在学時代に学資稼ぎのアルバイトとして描いていて大ヒットしたのが『ヴェルサイユのばら』です。 やはり母親が子供の適性を見抜き、信じて応援してくれるからこそ、才能は花開くのですね。
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