この動画は、「結論がどうであれ、ある事柄を公教育の場に残す/取り入れるべきか否かを話すなら、こういう観点から考える/語るべきだ」というものです。
じゃあ結局私は古典教育をどう思ってるかってことなんですが、
① 知識&技術としての古典は、戦前の学術書を読むためだけでなく、現行の法律を読むためにも必要になってくるものであり、文理を問わず、基礎技能として、高校レベルの古典(特に古文)を教える意義はある。コメント欄に寄せられる「古典を廃止すべきとは思わないが、選択制にするか、テストの必修科目から除くべきだと思う」という意見には、この観点から反論したい。
② 古典教育には、古典文化の継承という意義がある。日本には、経済的にだけでなく文化的にも豊かな国であり続けてほしい(私がこう思うのも古典教育の成果である)が、これを一部のマニアや研究者だけの間に閉じ込めてしまっては、文化が継承されているとは言えないし、継承していこうという世論も生まれないし、そもそも存在すら忘れ去られる。
③ 学習した経験(動画では「プロセス」「過程」という言い方をしている)としての古典は、動画で話したように、日本国民の中に統一的なアイデンティティを育むという効果はあるだろう。教育の場で教えなければ、我々は簡単に、自分が何者であるかを忘れてしまう。
④ しかし②と③は、全日本国民を古典文化の継承者に位置付ける営みであり、これも動画で話したが、これは大いにナショナリズムであるから、この点においてはあまり賛同できない。郷土史・郷土文化教育などとの両立や、日本史や古典に対する適切な理解が必要だと思う。(たとえば、我々の今話す日本語が古文が変化・分化してできたものだという認識は誤りである)
⑤動画の最後で話したように、いくら意義があるとしても結局は優先順位の問題である。他にも教えるに値することはあるが、古典はどれほどの優先度にあるのか。これは本当に、分からない。少なくとも、中学校・高校における古典を減らすより、小学校英語をやめるのが先だと思うが、逆戻りというのは行政が最も苦手とする仕事だから、それは期待できないですね。はい。
動画の中で引用した白井恭弘『ことばの力学: 応用言語学への招待』(岩波新書)はこちら
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0:00 イントロ
4:32 この動画で伝えたい2つの考え方
9:15 ケース① ヨーロッパの外国語教育
15:55 ケース② 理科教育
19:57 【本題】では、日本における古典教育の意義は?
26:16 +α① 行政とはリソースの配分である
28:19 +α② アイルランドにおけるアイルランド語教育
29:59 +α③ 民主主義の限界と教育
32:14 +α④ 義務教育で税金について教えるべきなのか
34:35 結論
36:08 エンディング
Негізгі бет 【教育の本質】古典教育賛成派も反対派も、根本を誤解している
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