豊臣秀吉が生涯にわたって仲良し?だった武将が松下之綱。秀吉が織田信長の家臣となる前に仕えた人物ではじめての「主人」と言われています。
当時15歳くらいだったボロボロの服をまとった秀吉は、遠州引間の橋の上で之綱と出会います。なぜか之綱は秀吉に興味を持ち、松下家に召し抱えたんですね。秀吉と之綱は同い年。秀吉が仕えたのは之綱の父(長則)だったとも言われています。その後大出世した秀吉は之綱を家臣として招き、やがて静岡県袋井市の久野城と1万6千石の領地を与えます。秀吉は苦しい時代に優しくしてくれた之綱に感謝していたのかもしれませんね。
秀吉は之綱にこの城を与えただけでなく改修の手助けをしたと考えられています。之綱の久野城には、瓦でふかれた天守や櫓が建ち並んでいた。それは、久野城が「なかなか豪華な城だった」ということを意味しています。秀吉は之綱への援助には感謝だけでなく、久野城を立派に見せることで得られるメリットもあったのでしょう。之綱時代の久野城には、門の周りや櫓の下などの一部に石垣が使われていたのかもしれません。しかし現在全く見えないのはこの時の破城によってどこかに持ち去られたか埋められてしまったのでしょう。天守のあった本丸も土台ごと破壊され現在のような形になりました。もし破城が行われなければ、もっとデコボコした久野城が残っていたのかもしれませんね。 久野城は、現在ちょっとした話題となっています。ここの保存会(久野城址保存会)が、第二回日本城郭協会大賞を受賞したのです(2023)。久野城の跡に宅地造成計画が持ち上がったは昭和50年代のこと。そのとき城の跡を残そうと地元の方々によって結成されたのがこの会です。やがて久野城の跡は袋井市の指定史跡となり、現在は草刈りを行ったり地元の小学生を対象とした教室を開催しているそうです。素晴らしい取り組みが評価されたんですね。
Негізгі бет 豊臣秀吉が元主君「松下嘉兵衛之綱」に与えた城「久野城」日本城郭協会が絶賛した保存会の活躍とは?
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