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□注釈と引用
*1 ちなみにこの計算機(パスカリーヌ)は当時50台ほど売れたらしい。
*2 パスカルは理性が間違える原因として、特に「想像力」を強調しました。
パンセ(白水社イデー選書)パスカル著 由木康訳 ラフュマ版断章番号83
ーわたしは愚者について語っているのではない。すぐれた知者について語っているのだ。想像力が人々を説得する大きな技能をあらわすのは、かれらのあいだにおいてである。理性はいかにわめいても無益である。理性は事物を評価することができない。
*3 パンセ(白水社イデー選書)パスカル著 由木康訳 ラフュマ版断章番号150
ー虚栄は人間の心に深く錨をおろしているので、兵士も、従卒も、コックも、人足も、それぞれじまんして、自分の称賛者をえようとする。哲学者ですら、おなじことを望む。栄誉に反対する論者も、よく論じたという栄誉をえたいと願う。またそれを読む人も、それを読んだという栄誉をえようと思う。そして、これを書いているわたしも、おそらくおなじ欲望を持っているだろう。またおそらくこれを読む人も・・・
*4 パンセ(白水社イデー選書)パスカル著 由木康訳 ラフュマ版断章番号162
ー人間のむなしさを十分知ろうとするには、恋愛の原因と結果とを考えてみればよい。その原因は<わたしには何かわからないもの>(コルネイユ)である。が、その結果はおそるべきものだ。この<わたしには何かわからないもの>、人が認めることもできないほど小さいことが、全地、王公、軍隊、全世界を動かすのだ。クレオパトラの鼻、それがもう少し低かったら、地の全面は変わっていたろう。
*5 パンセ(白水社イデー選書)パスカル著 由木康訳 ラフュマ版断章番号295
ーぼくのもの、きみのもの
「この犬はぼくのものだ」あのかわいい子供らは言った、「そこはぼくが日なたぼっこをする場所だ」。ここに地上における簒奪の始めと写し絵とがある。
パンセ(白水社イデー選書)パスカル著 由木康訳 ラフュマ版断章番号294
ー緯度が三度ちがえばすべての法律がくつがえり、ある子午線が真理を決定し、数年所有しているうちに基本的な法律がかわり、権利にもその期限があり、土星がしし座にはいるとこれこれの犯罪がおこる知らせになるという。おかしな正義よ!川ひとつによって限られるとは!ピレネー山のこちら側では真理であることが、あちら側では誤りなのだ。
*6 パンセ(白水社イデー選書)パスカル著 由木康訳 ラフュマ版断章番号294
ーもし人間の法律のたねをまき散らした無謀な偶然が、普遍的な法律の一つにでも出会っていたら、かれらはたしかにそのことをしつこく主張しえたであろう。だが、おかしなことには、人間の気まぐれはあまりにもまちまちなので、そんな法律は一つもないのだ。
*7 パンセ(白水社イデー選書)パスカル著 由木康訳 ラフュマ版断章番号332
ーそこで、つぎのように言うのは誤りであり、圧制的である。「わたしは美しい。だから、人はわたしを恐れるはずだ。わたしは強い。だから、人はわたしを愛するはずだ。わたしは・・・」おなじく、つぎのように言うのも誤りであり、圧制的である。「かれは強くない。だから、わたしはかれを尊敬しない。かれは有能ではない、だから、わたしはかれを恐れない」
*8 パンセ(白水社イデー選書)パスカル著 由木康訳 ラフュマ版断章番号386
ーもしわれわれが毎夜おなじ夢をみるとしたら、そのことはわれわれが毎昼見ている事物と同様に、われわれに影響をおよぼすであろう。(中略)しかし夢はみなちがっているし、おなじ夢でも変化するので、そのなかでみることは、さめていて見ることほど、人に影響を与えない。これはさめていて見ることに連続性があるからであるが、それもけっしてかわらないというほど連続し平均しているわけではない。旅をしているときのように、急激な変化をたまにしかしないだけのことである。そこで旅をしているときには「なんだか夢でもみているようだ」と人は言う。なぜならば、人生はいくらか変化のとぼしい夢にほかならないからである。
*9 パンセ(白水社イデー選書)パスカル著 由木康訳 ラフュマ版断章番号139
ーそのようにして人生はすぎさる。人はなんらかの障害とたたかいつつ、安静を求める。ところで、障害に打ち勝てば、安静は倦怠を生み出すので、耐え難いものになり、そこから出て、激動を求めずにはいられない。なぜなら、人はげんに感じているみじめさか行く手をおびやかしているみじめさかを思うからである。そして、たとえあらゆる方面において安全を十分保証されたにしても、倦怠が自分勝手に本来それが根ざしている心の底から発生し、その毒素をもって精神を満たさずにはおかないであろう。
*10 パンセ(白水社イデー選書)パスカル著 由木康訳 ラフュマ版断章番号465
ーストア派の人々は言う、「きみたち自身のうちにかえれ、きみたちはそこで平安を見出すであろう」と。しかし、それは真ではない。他の人々は言う、「外にでよ、気ばらしのうちに幸福を求めよ」と。しかし、これも真ではない。病気になることもある。幸福は、われわれの外にも、内にもない。それは神のうち、すなわち、われわれの外と内とにある。
*11 パンセ(白水社イデー選書)パスカル著 由木康訳 ラフュマ版断章番号233
ー「神はあるか、または無いか」(中略)
われわれはどちらの側にかたむくであろうか?理性はここでは何ごとも決定することはできない。理性によれば、きみはどちらに賭けることもできない。理性によれば、二つのうちどちらをすてることもできないのだ。(中略)だが、きみの幸福は?神はあるという表のほうを取って、損得をはかってみよう。二つの場合を見つもってみよう。もし、勝ったら、きみはすべてをえるのだ。負けても、何もうしないはしない。だから、ためらわず神はあるというほうに賭けたまえ。
*12 パスカルが「神が存在するかどうかは人間にはわからない」と言ったと考える人も多いようですが、『パンセ』の中には「神がどういうものであるかを認識することはできないが、神が“ある”ということは認知可能ではないか」という言及(ラフュマ版断章番号233)されている箇所があります。このことから動画では「理性に神は理解できない」と表現させていただきました。
*13 パンセ(白水社イデー選書)パスカル著 由木康訳 ラフュマ版断章番号347
*14 パンセ(白水社イデー選書)パスカル著 由木康訳 ラフュマ版断章番号267
ー理性の最後の一歩は、理性を超えるものが無数にあるということを認めることだ。それを認めるところまでいたりえないとしたら、理性は弱いものにすぎない。自然的な事物が理性を超えているとしたら、超自然的な事物については、なんと言うべきであろう?
□参考文献
パンセ (イデー選書) 由木 康 (翻訳)
amzn.to/3wQKqjA
パンセ(上下) (岩波文庫) 塩川 徹也 (翻訳)
amzn.to/3wQ3zlL
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