#三国志 #劉禅 #阿斗
劉備玄徳の子であり、蜀の二代目の皇帝でもある劉禅は、暗君であったとされています。
その幼名の阿斗(あと)を取って「扶不起的阿斗」(救いようのない阿斗)ということわざが残されているほどです。
しかし、本当に劉禅はそこまで貶められなければならないほどの暗君だったのでしょうか?
諸葛孔明亡き後、彼の置かれた境遇を見直してみると別の一面が見えてきます。
あなたは劉禅についてどう思いますか?
※あなたの考察やご意見をコメント欄までお待ちしています。
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Негізгі бет 劉禅は暗君だったの?蜀滅亡を招いた君主を考察
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