彰子の出産後、内裏に戻る際に式部と同車した馬中将の君は、露骨に嫌な顔を見せたとして式部に日記に書かれますが、その背景には須磨に流された光源氏のモデルをめぐる式部と源明子ら醍醐源氏の対立がありました。
式部は倫子の血縁者としての立場もあって、馬中将の君や宮の宣旨といった同僚女房たちだけでなく、藤原頼宗ら明子の子どもたちにまで敵意を持ち、日記で貶めています。
式部には相当嫌われていた馬中将の君ですが、一方で道長に宛てた恋の歌が残るなど道長とは男女関係にあったとされており、道長死後も女房として活躍しました。
今回は、日本紀の御局とあだ名を付けて式部を嫌っていた左衛門の内侍に並ぶ、式部と対立関係にある女房に位置づけられている馬中将の君の生涯、式部との対立の原因について紹介します。
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参考文献
福家 俊幸『紫式部とむまの中将』
(中古文学会『中古文学』43 1989年)
cir.nii.ac.jp/...
福家 俊幸『紫式部とむまの中将-続-物語作家が直面していたもの』
(武蔵野女子大学紀要編集委員会『武蔵野女子大学紀要』28,1993)
cir.nii.ac.jp/...
森本元子『西本願寺本兼盛集付載の佚名家集--その性格と作者』
(和歌文学会『和歌文学研究』34.1976)
cir.nii.ac.jp/...
酒井 みさを『上東門院の系譜とその周辺』
amzn.to/3UzguBy
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【目次】
1:27 馬中将の君と紫式部の対立
6:24 紫式部が明子を嫌った理由
11:10 源氏物語と醍醐源氏の関係
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Негізгі бет 馬中将の君と紫式部 仲の悪い2人は道長をめぐっても対立していた?【光る君へ】
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