Marine Reconは、主にDivision ReconとForce Reconの2つの要素に分けられる。Division Reconは、師団(Division)レベルの偵察や情報を提供し、師団のそれぞれの任務を最大限にサポートする責任がある。このタイプの偵察は通常、航空および海軍の支援範囲内で行われる。一方Force Reconは、MEF司令官(主に3つ星)の直属、またはMEU司令官の直属で、戦域の奥深くで戦術・戦略偵察を専門とし、限定規模の襲撃を行う。Force Reconという名称は、海兵遠征軍(Marine Expeditionary Force:MEF)に所属していることに由来し、一般的に誤解されているように、直接行動に重点を置いていることを意味するものではない。Force Reconが誇る信条は、「屈して諦めるのは敗北を意味する」。
海兵隊の本質とは、遠征即応能力(戦闘機を含む空・陸・兵站チーム)にあり、世界のどこで発生したアメリカの危機に対しても、アメリカ大統領が直ちに命ずることができる、唯一の自己完結型の即応態勢部隊。
海兵隊はこのような即応態勢を可能とするため、独自の組織システムを造り上げた。これが、太平洋戦争やその後の戦争を経て開発された海兵空陸任務部隊(MAGTF:マグタフ)であり、指揮部隊の下に陸上戦闘部隊、航空戦闘部隊、兵站戦闘部隊という三種類の異なる部隊を組み合わせた諸兵連合部隊となっている。
このMAGTFは広範囲な作戦(戦争・紛争から災害救援・人道支援)に対し、柔軟かつ適切に対処できるよう、3段階の戦力規模をもつ遠征部隊を13個編成している。最大規模のものが海兵隊の骨幹部隊となっているMarine Expeditionary Force:MEF(海兵隊遠征軍:中将を司令官に2万人〜9万人規模の兵力)で、3個編成されている。中規模のものが3個あるMarine Expeditionary Brigade:MEB(海兵遠征旅団:准将を司令官に3,000人〜2万人規模)。小規模のものが7個あるMarine Expeditionary Unit:MEU(海兵遠征隊:大佐を司令官に、1,500人〜3,000人規模の兵力)で、いずれもMEFの隷下に置かれている。ちなみに、沖縄には、最大規模の第3MEFが前方展開し、その隷下にある第3MEBと第31MEUも駐留している。
Division ReconとForce Reconはどちらも、ミッションをグリーンとブラックの2つのカテゴリに分類している。グリーン・オペレーションとは、偵察に重点を置いて実施されるオペレーションであり、敵に探知されることを回避しながら情報を収集することを目的としている。対してブラック・オペレーションとは、直接行動(DA)を必要とするミッションである。
Force Reconの歴史は、第2次世界大戦中に創設された第1海兵師団のオブザーバーグループ(Observer Group)にまで遡ることができる。その後、オブザーバーグループが拡大されて水陸両用偵察中隊(Amphibious Recon Company)となり、太平洋のアベママ島で上陸を助けるという成功により、さらに拡大された。そして、テニアン島、硫黄島、沖縄など、戦争の残りの期間、上陸作戦に参加した。
朝鮮戦争では、水陸両用偵察中隊が朝鮮半島北部に上陸し、その結果を報告するよう要請され、偵察の重要性が再び顕著になった。また、トンネルや線路への襲撃も行い、中には敵地から60キロも離れた場所で行われた任務もあった。偵察隊員は、アメリカ海軍の水中爆破部隊(Underwater Demolition Teams:UDT)と密接に協力して任務を遂行することもあった。1951年3月、部隊はさらに拡大されて、第1水陸両用偵察小隊(1st Amphibious Recon Platoon)と命名され、終戦後も引き続き任務に当たった。そして1957年、第1偵察中隊(1st Force Reconnaissance Company)が編成され、翌年には、第2偵察中隊(2nd Force Reconnaissance Company)が編成された。注目すべきは、海軍のSEALsが登場するまでにさらに4年、陸軍がLRRP(長距離偵察パトロール中隊)を創設してForce Reconのカウンターパートを創設するまでにさらに11年かかったということである。
そんな、第1偵察中隊は1965年にベトナムに派遣され、海兵隊に必要不可欠な情報を伝え、第2偵察中隊は東南アジアに派遣される新しい偵察兵を訓練する任務を担った。さらに、偵察能力の重要性を感じた海兵隊は、第3偵察中隊を編成した。
海兵隊員は、戦うこと、妥協しないこと、そして何としても敵を倒すことを教えられている。しかし、偵察には忍耐と隠密性が重要であり、敵の動きを報告するために、時には敵のそばを通り過ぎることも度々あった。なので、偵察を成功させるためには、海兵隊の教えである攻撃性を「学ばない」ことが重要だった。こうした偵察部隊の新しいスキルを高めるため、海兵隊の多くはアメリカ陸軍第5特殊部隊群のグリーンベレー隊員が教えるRecondo School(偵察学校)に参加した。
海兵隊は長らく、複数の軍種を統合したアメリカ特殊作戦軍・USSOCOMに部隊を提供する動きに抵抗していたが、2006年8月11日に Marine Special Operations Command:MARSOCが創設され、海兵隊はUSSOCOMに初めてコミットすることになった。そして、Force Reconの第1、第2偵察中隊は解散し、その中で最も経験豊富な隊員は新設されたMarine Special Operations Battalion:MSOB、現在のMarine Raider Battalionに選抜されることになった。さらに残ったForce Reconの隊員は、Division Reconの"D"中隊に編入され、深部偵察小隊(Deep Reconnaissance Platoons:DRPs)を編成した。
そして2008年10月、アメリカ海兵隊総司令官(Commandant of the Marine Corps:CMC)の指示により、Division Reconの"D"中隊は、第1、第2偵察中隊として再編成され、それに応じて海兵遠征軍(MEF)、第1MEFと第2MEFに作戦統制が割り当てられた。そしてその後、沖縄の第3MEFでも第3偵察中隊を立ち上げるようになった。
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