戦国時代も現代社会の人も人の上に立つ人間は、如何にして良い人材を集めるかが大切。
特に戦国時代は自分自身の才覚以上に、どれだけ優秀な部下を集め、いざという時に活躍してもらうのかが問われました。
実際、戦国時代には『人材コレクター』ともいうべき大名が多々いましたが、それもそのはず。
良い武将を手元に置いておきたいと考えるのは、決して趣味・娯楽的な意味ではなく、自身・家のことを考えても理にかなっています。
だからこそ、合戦の後、あるいは大名が没落すると優秀で名を馳せた浪人の元にはオファーやスカウトが舞い込んだものです。
しかしながら、中には主君が存命でありながら出奔するケースも。
それが大きな存在感を放っている家臣ともなれば、さすがに戦国時代でも珍しい話ですが、そんな出奔劇として大きな衝撃をもたらしたのが石川数正です。
徳川家の重臣でありながら、豊臣秀吉の元に出奔してしまったのです。
まだまだ家康が秀吉に臣従する前の話ですから、いわば敵国への寝返り。
現代人が見ても衝撃的な出奔劇は、当事者である徳川家にとってはより一層大きな衝撃をもたらしたことでしょう。
しかし、実は石川数正の出奔劇はその確たる理由がよく分かっていません。
本能寺の変同様、結局は人の気持ちの問題ですし、書状等も残っていません。
そのため、歴史マニアの議論の題材として今日まで残りました。
そこで、今回は石川数正が豊臣秀吉に出奔した理由について、まことしやかに囁かれている説をいくつかご紹介しましょう。
~目次~
2:35 秀吉に魅入られた説
3:48 秀吉の篭絡によって出奔した説
5:16 対秀吉路線における徳川家中での立場の悪化によるもの
7:02 信康関連説
8:40 父親怨恨説
9:28 出来レース説
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ナレーション:真加藤沙織
脚本・監修:歴史の細道
#歴史の細道
Негізгі бет なぜ?石川数正が徳川家を出て豊臣秀吉についた理由を徹底考察!
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