津波にのまれながら奇跡的に助かった少年。11年経ったいま、人生をかける目標を決めました。震災の教訓や大好きな、ふるさとの記憶を後世に伝えるために。
児童ら84人が犠牲となった宮城県石巻市の大川小学校。この日、1人の青年が訪れました。
「もう11年たつのかっていう感じがしますね」
震災当時、大川小の5年生だった只野哲也さんです。
「今でも津波の跡が見えますからね、ここからでも」
只野哲也さん(当時11)
「友達がバッと波にのまれていって」
只野さんは、あの日、津波にのまれながら奇跡的に助かりましたが、妹と母、それに祖父を失いました。
震災後、校舎の解体を望む声が多く挙がりますが、只野さんは、率先して校舎は残すべきと訴えました。
只野哲也さん(当時15)
「原爆ドームが原爆や戦争のおろかさを伝えてきたように、大川小の校舎も地震や津波の恐ろしさや命の大切さを、何十年、何百年、何千年と後世の人々に伝えるきっかけになっていけばいい」
その後、校舎は全体保存が決まり、去年7月からは震災遺構として一般公開が始まりました。
しかし、常に葛藤を抱えていたといいます。
「すごく嫌な言い方をすれば、やらされているような感覚で取材に応じてきて。でもある日、こんな半端な気持ちで大川にかかわるのは自分にも失礼だし、仲間や亡くなった同級生、友達にも失礼だと」
成人を迎えた頃から数年、大川と距離を置きます。
只野哲也さん
「東日本大震災から来月で11年となります」
先月、只野さんはある決断をしました。校舎を生かすための団体を新たに立ち上げたのです。
震災当時 大川小5年 只野哲也さん
「私は震災直後から『奇跡の少年』『大川小学校生存児童』という被災者としての発言を要求され、それに応えてきました。気が付けば要求された質問に最適な答えを返すことだけにとらわれていたように感じます」
新団体には只野さんに共感した仲間が加わってくれました。
震災当時 大川小5年 今野憲斗さん
「私もあの日、あの時間、あの場所にいました。なんでもっと早くチーム大川の活動を支えることができなかったのかという気持ちがあるが」
震災当時 大川小5年 只野哲也さん
「私の人生をかけた目標というのは、大川の地に新しい街をつくりたいと考えています。再び子どもたちが大川の豊かな自然の中で、自由にのびのびと命を育むことのできる故郷を取り戻せると私は信じています」
久しぶりに、同級生2人で校舎を訪れました。思い出をかみしめる一方、これからを見据えています。
震災当時 大川小5年 只野哲也さん
「防災や命の大切さ、当たり前に思っていることは実は当たり前じゃないということを丁寧に向き合って話していきたい」
(11日18:13)
Негізгі бет “奇跡の少年”と呼ばれ葛藤も 人生をかける目標 「新しい街を」
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