増田の伝統的建造物群保存地区では、100年前に建てられた当時のままの内蔵が残っている住宅が30棟あまり存在する。これは、19世紀半ばからの経済的な繁栄に伴って建設されたものである。蔵はもともと、食料や道具など商売に必要なものを保管するための耐火性を備えたものであった。しかし、増田の商人たちは、屋根をつけて蔵と本宅を接続させた。内蔵は実用的な建築物として居住空間へと組み込まれた。
増田の内蔵は、配置も機能も家の中心部と言えるものだったのである。「内蔵」自体が鞘建物の屋根や外壁を支える構造体となっているため、豪雪地帯でも耐えうる強固な骨組みとなっていた。1800年代後半に、多くの商人たちが2階付きの内蔵を設けた。これにより、1階は家族が集まったり、客をもてなしたりするための居住空間、2階は貴重品や道具、家具、衣類などを保管するための空間として分けられた。
厨房やその他の居住空間は、通常、内蔵と店先の間に位置する。台所には井戸や水汲み場があり、家の中で水が利用できるようになっており、冬には特に重宝された。このような大きな商家には、家族や使用人、店の従業員など、20人もの人が住んでいたと、町の古老たちは語っている。そのため、「内蔵」は家族や家長が使う専用の場所となっていた。
現在、増田の内蔵を所有している一部の家は、内蔵を一般に公開している。また、事業所や観光案内所として再利用されているところもある。ある家はレストランになっていて、そこでは増田の食文化における発酵の重要性を学ぶこともできる。全部で50ほどの内蔵が現存すると言われており、その一部が見学可能である。その中には、13代に渡って受け継がれている佐藤家住宅の内蔵もある。1800年代半ばに建てられたとされる住宅で、内蔵の中に店先がある独特の「見世蔵」がある。佐藤家住宅は、国の重要文化財に指定されている
Негізгі бет 秋田県横手市増田の内蔵
Пікірлер