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【壬申の乱1350年】大海人皇子脱出ルートは危険がいっぱい? 伊賀鉄道でたどる
Күн бұрын
【壬申の乱1350年】大海人皇子脱出ルートは危険がいっぱい? 伊賀鉄道でたどる
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飛鳥古代史
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Пікірлер: 43
@user-pm5ho4wr6z
3 ай бұрын
大海人皇子の挙兵ルートを追う企画 良いですね! 続編を期待します!
@umemaeSakiko
2 ай бұрын
>大海人皇子の挙兵ルートを追う企画 良いですね! やってみたいですね~。特に吉野から名張に抜けるルートを追ってみたいのですが、現代でもかなり険しい道のようです。
@きこちゃん-j7k
Жыл бұрын
梅前さん、あなたの妄想最高😊です。
@umemaeSakiko
Жыл бұрын
ありがとうございます♪ 妄想なら誰にも負けません(笑)
@market225
Жыл бұрын
なかなか軽快でなおかつ深く、そして臨場感のある味のある語りで良かったです。チャンネル登録しました( ・∇・)
@umemaeSakiko
Жыл бұрын
チャンネル登録ありがとうございます(≧◇≦) これからもよろしくお願いいたします♪
@bluesky-yukai220
Жыл бұрын
鉄道旅風景や最後の🌇夕焼け二上山最高。いつも有り難う😆💕✨
@umemaeSakiko
Жыл бұрын
ありがとうございます。先輩にそう言っていただけると励みになります♪
@akico8467
Жыл бұрын
つい昨日、「皓月」三部作を読み終わり、ラストのシーンを彷彿とさせる、今回の旅を見せていただき、大変感慨深い思いをいたしました。梅前さんの語り口大好きです。ありがとうございます😂
@umemaeSakiko
Жыл бұрын
嬉しいお言葉、ありがとうございます!(^-^) そのお言葉を励みにがんばります。これからもよろしくお願いいたします。
@takeoka2010
Жыл бұрын
素晴らしい紹介、ありがとうございます。見えるお城は筒井定次の城、伊賀上野城だと思います。
@umemaeSakiko
Жыл бұрын
ご教示ありがとうございます。ぜひ一度行ってみたいです。
@user-yz9ss6ze3s
Жыл бұрын
天下一品の妄想姫の動画に誘われて11月10日積殖の山口へ行って来ました❗。看板の所に車を停めて梅前さんが歩かれた道をたどり旧大和街道をぶらりと散策しました。宮滝からこんな所まで古代の道を女官や子供を連れてよく歩けたものだな…と驚きです。その後 コメント欄に記載されていた斎宮芝が気になったので訪ねてみました。帰りは名張市経由で大来皇女が建立したと考えられる?。夏目廃寺跡を見学して帰宅しました。5時間程のドライブでした☺️
@umemaeSakiko
Жыл бұрын
うわ~行って下さったんですね! 感激です! 斎宮芝にもいらしたんですね。私は不勉強にもコメントで教えていただくまでその存在を知りませんでした。 夏見廃寺も興味深いです。伊勢の祭祀は天武天皇の時代に本格化したものと私は考えていますが、大来皇女の存在はそれだけ大きかったということになるのでしょう。夏見廃寺にも行ったことがないので、ぜひ行ってみたいです♪ 「天下一品妄想姫」うふふ。なんか嬉しいです。キャッチフレーズにしたい。
@皆戸正幸
Жыл бұрын
梅前せんせい、毎回楽しく拝見してます。久しぶりにコメントします。 動画を観てたら何と見覚えある神社だなと思ったら伊賀穴穂宮でした。僕は元伊勢巡りをしてこの神社を昨年6月に参拝しました。 皇太神宮儀式帳に記載される伊賀穴穂宮、倭姫命世記には穴穂宮と記載されてます。元伊勢伝承地はこの伊賀穴穂宮の他に神戸神社、常福寺、猪田神社があります。 せんせいが車窓から見た城は上野城です。 次回も楽しみにしてます。
@umemaeSakiko
Жыл бұрын
元伊勢巡り、楽しそうですね! いろいろご教示ありがとうございました。都美恵神社には何も知らずに行ったので、驚きの連続でした。とてもいい神社ですね。 あのお城は上野城というんですね。ありがとうございます♪
@user-nk8nr7is4g
Жыл бұрын
梅前妄想天下一品‼️しかしながら、残念無念、史実真実に辿り着くのはやはりそう簡単なことではないのですね😅(当然か・・・) 後半は鉄旅にもなって、何時もの動画と違って楽しく拝見させていただきました✌️
@umemaeSakiko
Жыл бұрын
ありがとうございます(^-^) 真実を見つけるのは広大な砂浜で砂金を拾うが如しです。そのトライアンドエラーが楽しいんですけれど ←負け惜しみ!(笑)
@epiphonecasinoj
Жыл бұрын
今回の動画もとても面白かったですね。 痕跡、そうですよね。また、資料をきちんと確認して残念ながらそうではなかった等、 客観的に分析するところはさすが、梅前さんですね。 鉄道もお好きなんですね。 以前の動画も最後に近鉄電車、入れていましたね。 鉄道に乗って、歴史を感じて、一石二鳥ですね。 いや、今はやりの二刀流ですかね(^^♪
@umemaeSakiko
Жыл бұрын
ありがとうございます♪ 鉄道にはまったく詳しくないのですが、コトコト揺られて運ばれていく感じがとても好きです。
@pleasure5458
Жыл бұрын
あ!神社参拝してたんですね!。 動画有難う御座います。 秀吉公時代の宮家。 広幡家の16花弁裏菊紋 だったような? ちょっと西に家康公が、お茶した寺あったのに👍 ペットボトルで、お茶してる主を見たかったです。(笑) 陸路で3本、川で1本のルートがあるんですが、平城京の建築用木材を運搬したルートが、瀬田から宇治川~木津川で反転して上ると、敢国神社エリア、柘植に到着します。 陸路でも平等院鳳凰堂あたりに渡り伊賀市に向かうルートは、起伏も緩いのですが、多羅尾から入るか?壬生野から入るか?ですね。 奈良寄りには、脱出しないと思うので、野洲川を上り、太郎坊で天照大神の皇子の天之忍穂耳に参拝してから水口経由で伊賀市の柘植【最期が線路と平行に走る道ですね】滝川氏の牙城、油日神社もあります。 このルートで合流するのが、本命説ルートなんでしょうね。 この後、四日市の椿大神宮【猿田彦とウズメ命】に親子で参拝してから、四日市勢に道案内してもらい、岐阜の関にある、南宮大社【金山姫・大彦命の第一妃】と【彦火火出見・火折命】を参拝してから彦根入りし、息長氏の牙城・長浜に終結ですね。桑名市の多度大社【天照大神・第三皇子】にもよったのかも? 主の言う通り、ルート上には、天照大神の子孫達がー(笑) 熊本大社は、天照大神・第五皇子と天之忍穂耳の第一皇子・天之火明命。 大海人皇子に味方したエリアの人達は、天照大神の皇子になるのかな? 神宮伝承ハンターですので、散々走り回りました(笑)
@umemaeSakiko
Жыл бұрын
なるほどなるほど。詳しいご教示をありがとうございました。 さすが神社伝承ハンターです! とてもためになりました。ありがとうございます♪
@pleasure5458
Жыл бұрын
@@umemaeSakiko 様。 ち・な・み・に 野洲には、天照大神の第四皇子の子・天之御神神の御神神社。 大海人皇子達は、鍛冶神が祀ってあるエリアに入り、関を抜けると伊弉諾・伊弉冉の多賀大社。 西に向かうと安土の少彦・大彦・16代大王と続きます。 夏見には、春日大社の奥の院・積田神社があり、 武甕槌の伝承が(笑) 柿の木の枝を鞭にし、鹿に乗った、武甕槌は、武神そのもの。 日本神話は、畿内を使ったジオラマ。 案外、記紀の時代は、平和だったのかな?(笑)
@user-mo7nq4cf3v
7 ай бұрын
伊賀上野城です。これは、藤堂高虎がこの地にきたとき、城をたてかけたのですが、台風にやられ、徳川の天下になり、城は必要ないとのことで、そのままにされ、近代になって、政治家の川崎氏が資金を募り、今の天守閣が、初めてたてられたそうです。
@umemaeSakiko
7 ай бұрын
伊賀上野城についてご教示くださり、ありがとうございます。
@takedaharuki
Жыл бұрын
神社を予想するあたり凄く納得です。穴師が製鉄関係なら風と関係が深いので、風の谷の倉部川が凄く気になりました。そこで、ふと気になり、柘植、倉部川、神社で検索したら、『柘植の斎王群行』『頓宮』という言葉が引っ掛かりました。もしかしたら『斎宮芝』という場所も怪しいかも。
@umemaeSakiko
Жыл бұрын
ハルキー先生ありがとうございます。 穴師は製鉄関係なんですね。『斎王芝』、調べてみます。貴重なご教示心から感謝感謝です、
@user-dd2mv2by3m
Жыл бұрын
柘植は、松尾芭蕉の先祖の地であり、芭蕉の生地という説があり、いつか、歩いてみたいと思っていました。(柘植駅は、草津線への乗り換えの時間つなぎで、ぶらぶらしましたが。)ああ、こういう土地の風景なんだなぁ、としみじみ。 あの城は伊賀上野城なのでは? 今年の2月、上野市に行きました。松尾芭蕉の生家をたずねて。 そういえば、家康の「神君伊賀越え」の地でもありますね、伊賀は。そして、「伊賀の乱」の。
@umemaeSakiko
Жыл бұрын
柘植という土地は、本当にさまざまな時代の歴史上の出来事が重なり合っている場所なんですね。 芭蕉の生地との説は知りませんでした。ご教示ありがとうございます♪ あのお城について、他の方からも伊賀上野城と教えていただきました。素敵なお城ですね。機会があったら訪ねてみたいです。
@まっちゃん-v3w
Жыл бұрын
妄想こそ古代史の醍醐味… 妄想無くして古代史は語れない… そして古代史探求が止められない私が居ます。 最後の夕陽は大和八木駅近くからの景色でしょうか?
@umemaeSakiko
Жыл бұрын
「妄想こそ古代史の醍醐味」ですよね!(≧▽≦) ありがとうございます! 最後の夕陽は、おっしゃる通り大和八木駅近くのビルからのものです。スルドイ!
@民草1
Жыл бұрын
民草1️⃣号: こんにちは。 今回は、私の妄想かも知れませんが高市皇子と現在の奈良県選出の高市衆議院議員が、何か関係性を感じます。 奈良県には高市と言う地名もあり、高市皇子の名残りでしょうか?(妄想です。)
@umemaeSakiko
Жыл бұрын
古代の皇族の名前は、その養育を担当した氏族や経済的基盤となった地域の名前がつけられることが多いです。高市皇子もそうした背景を持っていたと考えられます。高市議員については詳しくありませんが、そうした意味では高市皇子と何らかのゆかりがあるのではないかと思われます。
@user-writer1918
Жыл бұрын
◎中央本線鳥沢駅から道志へ越える山道の峠に穴地峠(あなじとうげ)があり、この周辺は尾崎喜八のエッセーで有名な登山ルート上にあります。さて、このアナジですが、アナシとかアナセとか呼ばれる、峠を吹き抜ける季節風を指しているそうです。昔の勢力圏からいうと甲州弁かも知れません。琵琶湖から吹く風も昔は、アナシと呼んだのかもしれません -- 穴師谷/穴師(穴石)神社。 ◎また、ワタクシ『笑う登山家』としては、よく山中にあるクラの付く地名・山名は、概ね『蔵・鞍・倉』でゴツゴツした岩のある場所を指します。つまり、倉部は、そういった岩のある場所を流れる川かも知れません。当然、小さい岩ではないので、洪水時の水流で運ばれてきた大岩・大石かも知れません。
@umemaeSakiko
Жыл бұрын
貴重なご教示ありがとうございます。 本当に、地名というのは、歴史のつまったある意味「遺跡」のようなものですね。大切にすべきと思います。
@mariko6947
Жыл бұрын
皓月第三部、全然手に入らなくて😭まだ読めていません😢 佳境に入るのに、悲しいです。一、ニ部はあるのに、何で三部がないのでしょうか😮
@umemaeSakiko
Жыл бұрын
本当にご迷惑をおかけしております。なぜか第3部だけないんですよね。。。出版社にお問い合わせいただくか、あるいは、私のブログの右側、下にスクロールしたところにメールフォームがありますので、そちらからメールいただけますでしょうか。折り返しご返信申し上げます。(内容やアドレスが一般に公開されることはありませんのでご安心ください)
@虹色マストドン
Жыл бұрын
歩兵と弓兵主体の近江朝廷軍に対し騎馬兵の騎射突撃で一気に敵陣を貫通した反乱軍だと思ったがな それだと父子の出会いの地も馬匹を集めやすい草地と川沿いだろうな
@umemaeSakiko
Жыл бұрын
なるほど。貴重なご教示ありがとうございました。
@jiiji_jp
Жыл бұрын
この時代、近親婚等無茶苦茶!親戚同士の殺し合いも凄い!壬申の乱そのものが、プラス評価過ぎ。
@umemaeSakiko
Жыл бұрын
コメントありがとうございます。正式な歴史書として書かれた「日本書紀」は、天武天皇の血を引く天皇によって編纂・完成されており、壬申の乱の正当性をくどいほどに説いています。(そのために編纂したのではないかと思うほどです) なので「勝者による勝者のための歴史書」なので、おっしゃる通り「プラス評価」になっているのだと思います。
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