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【三国志】中華料理の原点?「古代中華の食事」を解説!【ゆっくり歴史解説】
Күн бұрын
【三国志】中華料理の原点?「古代中華の食事」を解説!【ゆっくり歴史解説】
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@you0517
Жыл бұрын
戦略、戦術、食、酒、詩文、政治…ほんと曹操は破格
@user-od6ku3zz3e
Жыл бұрын
器用貧乏とも言えますね。
@Alfort.
Жыл бұрын
@@user-od6ku3zz3e 曹操を器用貧乏って表現する人初めて見たわ😳
@user-od6ku3zz3e
Жыл бұрын
@@Alfort. じゃあ お笑い芸人、KZitemr、革命家、冒険家、2輪ライダー、ボクシング、日本一周で元気と勇気を届ける旅人、ハーバード大学志望、宇宙旅行志望、と 本当にゆたぼんは破格笑
@プラスの火星
Жыл бұрын
@@user-od6ku3zz3e 「器用貧乏」というのは色々なことがある程度器用に上手くこなせるが故に全てで大成しない、という意味です。 ゲームで例えるなら統率・武力・政治・知力が全部65みたいな感じでしょうか。どれかに抜きん出て(例えば統率武力は40だけど政治と知力は80)いた方が活躍はできるという事です。 曹操の場合は、あらゆる事を上手く形にして魏の礎を作り上げたのだから、「万能」と言うべきです。実際ゲームの曹操もあらゆる能力がトップクラスに高く何をさせても一流です。 ゆたぼんの場合、あらゆる事に手を出しはしたものの、特に何かをそれなりに上手くやっている印象はなく、そもそも器用だとは言えない気がします。 曹操にしてもゆたぼんにしても、器用貧乏という言葉には相応しくないと思います。相応しくない言葉を使用した事を指摘されて、揚げ足を取ろうとさらに相応しくない例示をしても「確かに」と思うどころか「言葉を知らない」という印象しか受けません。
@pompom4854
Жыл бұрын
@@user-od6ku3zz3e 全てに置いて声だけデカくて、中途半端なゆたぼんとか言う変なのと、皇帝に上り詰めた曹操を同列とかネタかなんかですか? 本気で言ってるなら少し勉強してきた方が良いです。器用貧乏の意味を含めて
@秋介-m7u
Жыл бұрын
こういう解説大好きです。「物語 食の文化」という本、密林で見る限り評判も悪くなくボリュームも良い感じなので思わずポチって来てしまいましたw
@KOUMEI_NO_WANADA
Жыл бұрын
当時の空気感とかも割と想像しやすくて、面白かったです!
@green8714
Жыл бұрын
ゆっくりが饅頭の話で引くのが可愛面白かったです♡
@津多英明
Жыл бұрын
曹操のもう一つの人物評が「治世の能臣」ですからね。彼なら乱世の時代じゃなくても政治的には名宰相として名を残しつつ文化的には結局史実と変わらぬ功績を残しちゃうんでしょうね。 戦が無い分他の分野に才能をつぎ込んで功績はより大きくなる可能性も。
@user-bi6ze2jv1u
Жыл бұрын
子供の頃にファミコンで三國志を知った私も、この歳になると戦史に限らず、それぞれの文化を知ること自体が面白く感じるものです。 今回のように食を紐解くことで、その時代、その土地の営みとそこにあったであろう苦労や工夫までもが想い起こされ感慨深いですね。
@ハムレツハムレツハムレツ
Жыл бұрын
私も、歴史への興味はゲームが始まりです。 別にそれに特化してる訳でもないのに、目に付いたら読んでいるだけなのに、やたら詳しいと言われます。 子供には、ゲームをやらせて、一番興味を見せた分野を伸ばしたらいいかもしれませんね。とか、適当に、言ってみます😂
@user-rk8fv4uy6s
Жыл бұрын
色々と素晴らしい解説を有り難う御座います。
@もやしは主食
4 ай бұрын
これもいい企画でした ありがとうございます
@NidannageTomoe
Жыл бұрын
いつも楽しい動画ありがとうございます!、今回楽しかったです。 良く、水滸伝など見ると酒場が出てきます 張飛も肉屋をやってましたね 機会があれば次回は物価を取り上げて頂きたいです
@Nozy1978
Жыл бұрын
この時代の稲作の北限が淮河であったとされています。中原・華北で米が主食なるのは、隋代の大運河によって輸送が大量に容易になって以降の話しだと思います。それまでは大麦・粟などの粥であったのではないかと思います。だから箸を象牙にしたら、匙も銀にしないと物足りなくなるという話になるのです。金にしないのは金だと柔らかすぎるのと、銀だと毒物(ヒ素など)に反応して変色するからです。 小麦は「飯の用にならない麦」なので小麦であって、飯の用になるのは大麦というのです。 米は生産効率、人口維持に麦類より圧倒的に有利で、歴史的にも世界的に現代でも、米の地域(東南アジア、中国、日本)の人口が他地域を圧倒しているように米の生産量を増やすことが人口を維持するのに国家的にも重要視されるわけです。 ニワトリは畑に放っておけば害虫や雑草を食べてくれるしスズメも近寄ってこないし、卵も産むし、用済みになれば肉にして食べてしまえばよし、まぁ日本の農村でもつい最近(100年くらい前)までフツーあった光景です。三国時代でもそれは行われていたことでしょう。 陸績が袁術からもらった「ミカン」は日本人の認識している温州ミカン、紀州ミカンと違うものであると思われます。そもそもこいつらは日本原産か日本で進化発展したものだし。中国原産の柑橘とするとカラタチかな?と思いますが、そうなると「枳橘」って書くだろうからなぁ・・・219年、若くして病を得「私の死後60年で天下は統一される、それを見届けることができぬのは残念だ」享年33。 王祥は継母から魚が食べたいと言われて、川に行ったところ川が凍っていたので、衣服を脱いで川の氷に伏したところ氷が勝手に溶けて氷の割れ目から鯉が飛び出しという。「保持していると三公になれる剣」というものを呂虔(呂虔自身は三公に昇れなかったが)から譲り受け、後に司空・大尉を歴任した。この剣は弟・王覧に渡り、王覧の孫が王導である。 孟宗は呉の孫権に仕えた時に、故郷の母に魚を贈ったところ、母は「お前さんは魚を管理する役職なのだから、こういうのは不正だと疑われます」といって受け取らなかったとされています。この母、孟宗が李粛の許に留学する際も大きな布団を作って持たせたりと、なかなかの賢母である。さてこの母が重病にかかった際に、「最期に好物のタケノコが食べたい」といったので、孟宗が冬の山に行って祈ったらタケノコが生えてきて食べさせることができたという、この竹のことを「モウソウチク(孟宗竹)」と言います。呉では任地を勝手に離れるのは死罪相当でしたが、その親孝行振りに陸遜まで出てきて助命を嘆願したので孫権はそれを許し、孟宗は最後は司空にまで昇進します。
@RURUIZA
Жыл бұрын
とても興味深い内容でした!諸葛亮の饅頭発明逸話や曹丕のスイーツ男子属性やブログ詔は有名ですが、杏仁豆腐の起源が三国時代というのは初めて知りました。でも、種子を服用するのに甘味や牛乳を用いる時点で、口に出来るのは上流階級や富裕層の人たちだけだったと想像に難しくないですね。 あと、動画では触れられていませんでしたが鄧艾の豚足好き逸話も有名ですね。当時の豚足は皮と腱しかないからと好まれていませんでしたが、焼いた豚足を皮はパリパリ・中はプルプルで鄧艾が食べて美味しいと言ってから、豚足の美味しさが広まったとか(現地ではそう言われていました) そして、鄧艾に因んだ鄧城葉氏猪蹄という豚足料理(鄧艾の死後にレシピが生まれ代々語り継がれていき、レシピが確立したのは清代らしい)、以前中国に住んでいた時に何度か食したことがありますが、お店により味付けの違いはあれど、カルダモンやクローブの独特で優しい風味のおかげで豚足があまり得意ではなかった私でも美味しく頂くことが出来ました。(色々な香辛料が用いられているので日本語で表現するのが難しいです…)
@RURUIZA
Жыл бұрын
ついでに、河南省で言い伝えられていた鄧艾の豚足エピソードを訳しておきます。(長文失礼します) 「相傳冬日天降大雪,鄧艾巡防歸來,時已深夜,饑寒難耐,令廚子整備飯菜,答曰飯菜已盡,只剩當地鄉紳勞軍奉送整豬餘下的四隻豬蹄在肉湯中煨著,因當時人們均認為豬蹄是不雅之物,且只有筋皮,食之無肉,棄而可惜,廚子想打打牙祭,就收拾乾淨後放在肉湯中用余火煨燉。鄧艾飢腸轆轆,只好令其端上來,開始還猶豫著不想下箸,腹內一陣空鳴,只好試著品嘗,沒料想一入口頓覺味道醇正,皮脆筋酥,香而不膩。鄧艾喜出望外,命隨從端上一壇佳釀,一掃為官威顏,索性淨手拿穩,大口吞嚼,大碗喝酒,風掃殘雲,一口氣將四隻豬蹄啃成碎骨。 酒足飯飽,鄧艾撫腹大叫:「痛快!痛快!」乃令隨從打賞廚子。廚子雖然心痛那幾個豬蹄,見主將興致頗高,又得賞錢,自然高興三分,心中竊喜。」 伝説によると、大雪の降る冬の日に鄧艾が巡察から帰ってきたとき、夜も更け、空腹と寒さのあまり、料理人に食事の用意を命じた。すると、食料は尽きたと答え、地元の有力者の労軍から送られた4匹の豚のひづめをスープを煮込んだという。というのも、当時の人々は、豚のひづめは卑賎で腱と皮しかなく、肉もないため食べられないと考えた。しかし、捨てるのはしのびないとも思っていた。料理人は(鄧艾の)歯の生贄にしようと思い、きれいに洗ってスープに入れ、燠火で煮込んだ。鄧艾は腹が減っていたので、彼に頼んで持ってきてもらうことになった。最初は箸を置くのもためらわれたが、胃の中が空腹でざわざわしていたので、味見をしてみた。思いがけず、味はまろやかで、皮はパリパリ、腱はコリコリ、香ばしいが脂っこくはない。鄧艾は大喜びで、侍従に命じて良質の酒を甕で持ってこさせ、官吏としての威厳を振り切った。彼はただ両手でそれを持ち、4本のひづめを咀嚼し大きなどんぶりで飲んだ。 酒と食事に満足した鄧艾は、腹をさすりながら叫んだ。「幸せだ!幸せだ!」 彼は従者たちに料理人に対し褒美を与えるよう命じた。料理人は(捨てられる)豚のひづめをしのびなく思っていたが、将軍が非常に興味を持ち褒美をもらったのを見ると大喜びし、内心ひそかに喜んだ。 私の中国語も完璧では無いので誤訳があったらすみません。煮込んだのに皮はパリパリという表現が気になります…が、読む限り、美味しそうです。 この料理人によって、鄧艾の死後、豚足を美味しく食べるレシピは秘伝のものとなっていったとあります。
@rinr5185
Жыл бұрын
三国志TKだとよく宴会の席とかで鳥の丸焼き?みたいな肉を見かけたね、曹操が長い箸を器用に使い食事しながら色々戦略を練ったり 劉備と英雄を語るシーンとか好き
@naughtnaught
Жыл бұрын
三国志に限りませんが、柿沼陽平という大学教授の方が、墓から見付かった中国古代のレシピの再現本を出す気らしい。
@KOUMEI_NO_WANADA
Жыл бұрын
最高
@未来のまぞく軍師
Жыл бұрын
官製の養魚池や果樹園がありますね。 以前、東京国立博物館の特別展で後漢時代の出土品で池で家鴨と魚(三匹のうち一匹はなまず)を飼育する器物や、炉で炙られる蝉の串焼きの器物が展示されてました。 果物といえば、前漢時代に益州から茘枝(ライチ)の木を長安に移植して枯れた時、係官が全員処刑された話もありました。
@user-zo8rt8uc5s
Жыл бұрын
昔見た「三國志」で、 孔明さんと魯粛さんが、赤壁で、曹操軍から“矢”をかっぱらいに行くフネの中で、 きゅうりのスライスしたみたいなのや、 豚肉を小刀で切って食べていたシーンがあり、 こちらで語られている内容と合致いたします~😁👏
@KOUMEI_NO_WANADA
Жыл бұрын
こういうちょっと違った視点が知識に加わると、更に歴史作品が楽しくなりますね!
@安田一平-f1y
Жыл бұрын
「鶏肋」と言う言葉を曹操も発しているので、鶏が食卓に上がっているのが分かる。
@ミルキーチクビーム
Жыл бұрын
北方では麦(酵母のないパンみたいなもん)、南方ではコメ(今の知多お米というよりは粥に近いもの)な違いがあったようですね。西方の蜀では粟も、という話は聞きますが、五穀は時代的にどこでも主食だったんだろうなあと。
@shionsan2000
Жыл бұрын
1995年にBS NHKでやっていたドラマ三国志では、官渡の戦いで袁紹軍の兵隊がナンみたいな焼いたパンの様な物を食べていた。 横山光輝三国志で有名なのは何と言っても温州蜜柑かな。
@Bear_Samurai_kuma
Жыл бұрын
ニラ玉みたいなのやインドのナン。あとはお屠蘇けっこうこの時代で産まれて今にも残ってますね
@show_kazitani
Жыл бұрын
衣住もやって欲しい!!
@abelltakenaka9033
Жыл бұрын
すごくおもしろかったです!
@user-gn4iu1np5m
10 ай бұрын
中々いい物食べていたんですね 栄養的にもそれほど悪くはない感じですね
@モダン調の二段熟成カレー辛
Жыл бұрын
徐州って海にも長江にも面してるから陳登が魚の鱠🐟を好んだのもここで言う一般論としての古代中国の食文化でなく土地の食文化だったのかもしれませんね🙃(ちなみに彼の生まれた下邳はその徐州でも内陸、生魚が食べられたのは土地のステータスだったのかもしれません) そういえば孔子もかの地(徐州南部)の出身ですね(魚の生食がありな文化圏なので獣肉の生食も・・・・・・って流れは日本人としては凄く理解できますね笑😋
@junkaisavoy1020
Жыл бұрын
「鱠」という字は中国古代の生魚料理を指し、主な食材はフナ属、バサ、鯉などの淡水魚,主な作り方は生魚をスライスした後、大根の千切りと生姜の千切りを添え、具はレタス、マスタード(芥辣)or酢(醋浇)。骨の多い淡水魚なので、実際に扱うのは日本料理の刺身よりかなり難しいです。この「鱠」料理は中国の明清時代に消滅しつつあるが、主に淡水魚の寄生虫が人体内の環境に適応できるからだ。寄生虫病に感染すると、死亡率はほぼ100%になる。対照的に、海水魚の生魚料理に寄生虫がいても、感染後は一般的に人体内の環境で生存することは難しい…。
@モダン調の二段熟成カレー辛
Жыл бұрын
@@junkaisavoy1020 私の地元(日本関西)では 鱠(をはじめとする生魚料理)は上記した通りで元々は別として現在は南方出身の客家の方の食文化として現在一部残されてる(※おそらく政治的・文化的に微妙な案件ゆえの言い回し)とされていました😃
@兼松保
Жыл бұрын
孔子「醤が無ければ魚一匹食えない。」
@user-if5sw3qz6m
Жыл бұрын
『軍靴のヴァルツァー』を連載中の中島三千恒先生が曹丕を主人公にした『建安マエストロ』という作品がありましたが、「酥(ヨーグルト)」に食べなれない弟や臣下に対して果物にかけたエピソードを思い出しました。 あと諸葛孔明と張飛の問答もある意味食エピで。
@anacreon0221
Жыл бұрын
張飛の答えが非常にらしさがあって好きです。
@anacreon0221
Жыл бұрын
あとこの時代に生薬が発展したそうで 戦乱だらけで食べる物がないから草木どころか動物の角や骨も食べて、 健康になったり病気になったりと色々な見聞が出てきて 生薬の効能を知るようになったとか。
@夢は世界征服
Жыл бұрын
中国の食事は海外と比べて自由だよな。 宗教に縛られないし、食べてはいけない物もない、食事回数も多い。 食べ残さないと満足していないと思われる謎文化
@meitoku5581
Жыл бұрын
杏仁豆腐は、唐の楊貴妃が食していた、とは聞いていました。ただ、原型が三国時代までさかのぼるとは、知りませんでした。
@heiokanata8949
Жыл бұрын
子供の頃に読んだ三国志の漫画で、張飛が肉まんみたいなのをパクパク何個も食べてるのすごい美味しそうだと思ってた
@eldoradodemon2263
Жыл бұрын
桃と梨は個人的に好きな果物ツートップですわ
@上田徹-c7l
Жыл бұрын
曹丕の家臣が纏めた書物によると、孟達曰く蜀若しくは益州の食事は薄味で 飴や蜜をかけて食するの記述が残っているみたいです 険しい山岳地では食物の確保なども厳しいのですかね
@KOUMEI_NO_WANADA
Жыл бұрын
甘い物好きの曹丕の気を引くため、孟達のリップサービスな可能性も…(笑)
@濵本竜司
Жыл бұрын
蜀つまり四川の当時の味は薄く、辛味は山椒でつけていたはず。麻婆豆腐に代表される四川のあの辛味は唐辛子が伝わってからだから500~600年前位の事(明の時代)。しかも麻婆豆腐が出来るのはおよそ160年前(清の後期)と意外に新しい。
@user-rf8lr5mb3i
Жыл бұрын
杏仁豆腐とかそんな昔から有るのか 80年代のファンロードで刷り込みされてるから台湾由来の点心かとなんとなく思ってた
@user-yr2wn7fl7f
Жыл бұрын
我々日本人にとってお米は昔はお金の基準だったので崇拝しがちですが、そもそも元は温かいところの植物ですからね・・・ 寒い北国となると、やはり基本は麦か粟とかなんでしょう。
@YS-lg6vq
Жыл бұрын
曹丕といえば孟達に北京ダック(の原型?)についてめっちゃ質問しまくってた、というのを聞いたことがありまぁす!
@オリーブ-f3v
Жыл бұрын
横山三国志だと、軍幕の中でも置かれた机に皿に盛られた何かと、酒!ってイメージしかないw
@KOUMEI_NO_WANADA
Жыл бұрын
わかります(笑)
@オリーブ-f3v
Жыл бұрын
@@KOUMEI_NO_WANADA 項羽と劉邦だと、大なべを囲んで雑炊?を兵士がかきこんでる貴重なシーンがありますね(笑)。あれは割かし史実っぽい
@Seaza_Sr1
Жыл бұрын
双脚羊の解説もお願いします!
@安田一平-f1y
Жыл бұрын
人間の事。ダークファンタジー作品の『オーバーロード』にて“アベレオンシープ”と言う名で語られている。
@Seaza_Sr1
Жыл бұрын
@@安田一平-f1y おお、ありがたい(ΦωΦ)ミツケマシタ!!
@keishikoumiishi4392
Жыл бұрын
曹操って言えば梅を望んで渇きを止むの逸話もありますよね これも真偽は定かでは無いですが、当時の人達も梅を食べ物として認識していたんじゃないかな? すると当時は梅はどんな食べ方してたのかなぁ あと鶏肋の故事もあるからやっぱり上流階級は食べてたのかな? 或いは戦争してたから資源として徴発したのかな?
@anacreon0221
Жыл бұрын
梅ではなく李だという説もあるようで
@モルスァ天竺鼠
Жыл бұрын
@@anacreon0221 どっちにせよ酸っぱくて栄養価、特にクエン酸、ビタミンc、その他無機物、など疲労回復効果の高い、また欠けると重病になる栄養が多く、塩に漬けて干せば栄養剤、急ごしらえの傷や病気の薬になる優秀食材ですね。
@Takechan-to-Asobou_kakari
Жыл бұрын
塩といえば横山三国志の張飛の首の塩漬け 当時の塩は超貴重品だからあまり塩の乱用は出来なかったらしいですが
@スターウォーズ0079
Жыл бұрын
各地域の料理の特徴として、仮に三国志に中華料理が完成していたと仮定したとして、劉備が麻婆豆腐を、孫権が八宝菜を、曹操が水餃子を食べているとすれば分かりやすい。
@mocchi2643
Жыл бұрын
この時代、兵糧の主食としては北部では小麦より保存が効きやすいキビ、南部では干し飯が一般的だった。主食以外は味噌と漬物、豆を粉にしたものを茹で乾燥させ固めた物くらいで、肉が欲しいからといって近くの村から耕作用の牛を盗んで来て食べたりすると死罪となったので、肉は敵や味方の戦死者で賄ったらしい。
@妖怪みょーん
Жыл бұрын
カニバリズムカニバリゼーションカニバリスト
@bakermaria3231
5 ай бұрын
饅頭キャラが、饅頭を解説する…
@imuzak555
Жыл бұрын
北方三国志の、張飛の野戦料理が美味しそうだった^q^
@kappanouen
Жыл бұрын
饅頭の起源を語る饅頭達😃
@KOUMEI_NO_WANADA
Жыл бұрын
やったぜ!🎉
@濵本竜司
Жыл бұрын
しかも饅頭は陸を駆け海を渡り韓国や日本にも伝わった。韓国のマンドゥや日本の饅頭の祖先。
@shigemorimasa964
Жыл бұрын
三国志関連の二十四孝 陸績、懷橘遺親。母のために袁術主催の宴席から蜜柑をゲト。 孟宗 哭竹生筍。母のために竹林で哭きにょきにょきしてきた筍ゲト 王祥、臥冰求鯉、母のために氷に臥して溶かして鯉をゲト
@ひょうべえ
Жыл бұрын
王族は一日四食・・、恐らく毎食贅を尽くした物を出されるでしょうし、もしかして後漢の皇帝が軒並み寿命が短い理由って・・。
@seinnthu7949
Жыл бұрын
食い過ぎやデブwwwwwwwww
@dt-forty3012
Жыл бұрын
曹操と言えば鶏肋のエピソードが有名だけど、他にもこんな逸話があったんだな~ 今まで三国志の時代の人々はいわゆる中華料理を回転テーブルで食べていたと思ってた自分の情弱っぷりが恥ずかしくなった!こういう知識がなくては正しく歴史を認識することなんてできないんだろうな
@安田一平-f1y
Жыл бұрын
回転テーブルは初代目黒雅叙園のオーナーの発明だったかと。
@ローラン-j4q
10 ай бұрын
やっぱり美味そうだね\(^o^)/ 魚を生は駄目だ。
@user-eigas
Жыл бұрын
三国志の時代は北は粟や稗や大麦、長江より南は米が主食とされ、小麦の食文化はかなり後の時代 司馬遼太郎は今のチャイナ料理の原型は宋の時代だと指摘してますね
@モルスァ天竺鼠
Жыл бұрын
飲茶の起源は唐らしいですね。因みに日本茶道の原点は宋代の茶道だったりします。それ以前に餅茶による唐代茶法もありましたがめんどくさい、余り口に合わない、管理が面倒などの理由で絶えて、中国の宋代より室町文化に輸入された宋代の茶道が粉に引いた茶葉を茶筅で点てる技法であることで口当たりが滑らかに、味が繊細になりとても美味しくまた、粉として引くことで茶を点てやすくなり、保存しやすくて粉にひく、湯を沸かす以外の手間が少ないのが理由としてあったかもしれない。
@長曽根虎徹-w7e
Жыл бұрын
きたかたにいちいち吹き出してしまうw
@karuzuya
Жыл бұрын
1日2食は、調理が大変だしな
@user-iq6wd6ik8f
Жыл бұрын
豚の肩ロースを生で齧って勇猛さをアピールする話なかったっけ?
@eldoradodemon2263
Жыл бұрын
鴻門之会ですかね
@uyotias
Жыл бұрын
う、温州蜜柑も話題に・・・
@2000me
Жыл бұрын
蜀の主食はどんなのかな。
@月見で一杯-t4w
Жыл бұрын
キングダムで信が食べてたなぞの生物は果たしていたのだろうか😁
@tomohiro19880307
Жыл бұрын
いつも楽しく拝見しています^ ^ 話題が身近なものだったので、とても楽しかったです(*゚∀゚*)b
@KOUMEI_NO_WANADA
Жыл бұрын
ありがとうございます!🍜
@user-fb3oq9jq3d
Жыл бұрын
おりしも、NHKラジオにて「カルチャーラジオ 歴史再発見 古代中国の日常生活」放送中。語るは柿沼陽平先生。基礎の基礎の『食』、のイメージが現代日本からではイメージ浮かばなくて、難渋しておりました。横山光輝さんも、さぞ絵にするのに苦労したでしょう。
@lemonsoup1920
Жыл бұрын
横山光輝三国志といえば温州みかん。
@KOUMEI_NO_WANADA
Жыл бұрын
中身がないではないか!
@lemonsoup1920
Жыл бұрын
鹿児島原産の蜜柑という左慈の罠
@MuraSzgundam
Жыл бұрын
屯田も重要戦略のひとつであり、兵站というべき食糧補給は大軍を持つほど重要になったに違いない、官渡の戦いの決め手となったのは皆知るところ… 袁術オススメの蜂蜜飲料は高価なものだったのか、それともポピュラーなものだったのか… そしてやはり『酒(宴会)』 人間関係だけでなく、酒の概念そのものに演義補正がかかってるといってもいいくらい、戦況(ストーリー展開)にも影響を及ぼしている… 劉備が人肉食す例の鬱エピソードはやりすぎ感を受ける人もいるかもしれない…
@KOUMEI_NO_WANADA
Жыл бұрын
演義の劉備のその逸話って、確か元ネタがあったはずなんですけど、えーっと、なんだったっけ…🤔(笑)
@モルスァ天竺鼠
Жыл бұрын
蜂蜜は蜂や気象の管理が難しいのでかなり貴重かと。
@user-tx9oi9yz8v
24 күн бұрын
諸葛亮の曼頭です。
@恥知らずはデフォルトです
Жыл бұрын
モヤシが一般的だとは驚いた。昔の日本ではあまり栽培されていなかったと聞いたが、中国では盛んだったのだろうか。
@rampapa0603
Жыл бұрын
人を食ってたとか食ってなかったとか
@user-sr6ew9sh7l
Жыл бұрын
日本でのごはんの食べ方はお粥や雑炊、茶漬けおにぎりにおむすびなどがあるけど中国ではごはんの食べ方はあまり少ない感じがします
@user-jy6mr9bd1r
Жыл бұрын
劉備は人間食ってたよな
@KOUMEI_NO_WANADA
Жыл бұрын
元ネタは何か忘れたけど、一応、演義のオリジナルエピソードで、正史にその逸話はありません。 ただ、飢餓の時代でもあり、戦時中に飢えてそのような行為に至った将兵は、少なくなかったのかも。極限の中で生きるのって大変。
@TDF002
Жыл бұрын
以前読んだ三国志をネタにした小説(エロでしたが)ではこの時代まだ「炊く」という調理方法が無かったのでは?って書かれてたな もっぱら「蒸ごはん」だっただろうって
@モルスァ天竺鼠
Жыл бұрын
または煮込んで粥ですね…。ちなみに人類史で原初の調理法であったのは焼く、煮る、茹でる、蒸すと言う単純なものでした。
@user-cx5xj9ne7u
Ай бұрын
流石に劉備の人肉の話は出せませんよねw。自分は三国志の食と言えば、浮かぶのは温州みかんですかね
@KOUMEI_NO_WANADA
Ай бұрын
あれは演義の話なので、史実ベースの解説にはちょっと🤔
@rem2622
Жыл бұрын
こういう視点は面白いですね。 こういうテーマなら他だと【商人視点から見た三国志】なんかも面白いかもです 例えば本当かどうか分からないですが 三国の兵士の武装の質は魏が一番下だったと言う話を何処かで聞いた事あります 三国時代は特に華北で鉄が取れなくなっていたらしく罪人とかにはめる
@rem2622
Жыл бұрын
枷なんかも木製だった見たいです (華北にも産地はあったが恐らく掘りつくされた) 兵士の装備は武器はともかくも防具は もっぱら革で造った物が主とか 対して蜀や呉はまだまだ未開拓の地が領土だったので銅鉄が出る産地を抑えていて兵士の装備もある程度は銅鉄だったとか
@KOUMEI_NO_WANADA
Жыл бұрын
ですね。ただ孫呉はずっと未開拓地の原住民である山越族に手を焼いていたので、安定して銅鉄を取ることは難しかったのかもなぁ、みたいな。 その点、蜀漢は諸葛亮や張嶷、馬忠の活躍で南中地方を平定しています。故に国力で劣っていても、強兵を産むことができたのかもしれませんね。
@matukawatositane
Жыл бұрын
祭礼で肉を均等に切り分けられる人間が尊敬されてたのはもうちょい前の時代?
@KOUMEI_NO_WANADA
Жыл бұрын
人の上に立つための重要な資質みたいに言われてますよね。劉邦の逸話でしたっけ?
@matukawatositane
Жыл бұрын
@@KOUMEI_NO_WANADA 陳平な気もするけどどうだったかなぁ…?
@mikawabern
Жыл бұрын
鴻門の会の樊噲あたり肉さばくのうまそうですが
@matukawatositane
Жыл бұрын
@@mikawabern 実に美味そう…じゃなくて上手そう
@福チャン-i3d
Жыл бұрын
今の私利私欲に走り強欲極まりない中共の実情を見て昔の人々はどう思うだろう
@nokifuji1579
Жыл бұрын
中国で犬食の文化が下火になったのはホンの最近でしょう。食用の犬種を作ってまで食べていたのだし。
@KOUMEI_NO_WANADA
Жыл бұрын
歴史的に、主に遊牧民族や騎馬民族の支配を受けたのは長江より北の地域で、長江以南はこうした異民族文化の影響を受けづらかった傾向があります。 なので中華南部では、あまり良い表現ではありませんが「悪食」の文化が長いこと根付いていたという話もありますね。犬食もまた、この地域に残った文化のひとつなのでしょう。 一緒くたに「中国で」とまとめるには、あまりにも国土が広く、民族も人口も多いので、難しい話ではあります(笑)
@あかいろ-w1o
Жыл бұрын
食用の犬と言えば確かチャウチャウだったような。チャウチャウとちゃうかったかな? チャウチャウちゃうん?とか思うけどチャウチャウちゃうんちゃう?とかも思う。
@吃瓜群众-l8i
Жыл бұрын
@@あかいろ-w1o中华田园犬居多,本土的狗,其他宠物狗应该也有,其实狗的味道不错,我小时候吃过一次,10多年前,刘邦是懂美食的
@repair4465
Жыл бұрын
サムネイルが饅頭だらけや
@KOUMEI_NO_WANADA
Жыл бұрын
そのコメントが欲しくて、饅頭のフリー画像素材を探しまくりました(笑)
@repair4465
Жыл бұрын
@@KOUMEI_NO_WANADA 孔明の罠だった・・
@ぺにたん-c4n
Жыл бұрын
題材は良いけど内容が物足りなさすぎる
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