藤原隆家は、恩赦からわずか半月で帰京していますが、これには有力貴族の協力者がいると見られており、かつて流罪時には藤原実資を通じて減刑を歎願して認められるなど、周囲と良好な関係にあった隆家だからこそできたスピード帰京でした。
以降も、燻る伊周をよそに順調な復帰を果たしていきますが、道長に追随する姿勢に一条天皇は失望し、隆家を周囲と敵対しながらも敦康親王を守る姿勢を見せた伊周の意志を継ぐ者とは見なさず敦康親王を後継者にすることを諦めてしまいます。
ですが、伊周の死後、中関白家を代表する立場になった隆家は、道長に追随する姿勢を改め、藤原実資とともに道長とは一線を画す存在として周囲にも認められていきました。
今回は、道長には好意的に受け止められるも一条天皇は評価しなかった、隆家の復帰の過程について紹介します!
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参考文献
関口力『摂関時代文化史研究』
amzn.to/3UMc49G
倉本一宏『藤原伊周・隆家:禍福は糾へる纏のごとし (ミネルヴァ日本評伝選)』
amzn.to/3TDUNzP
下玉利百合子『枕草子周辺論: 続篇 (笠間叢書 283)』
amzn.to/3Rm4i5u
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【目次】
01:25 隆家の早期帰京の背景
07:46 復帰後の隆家
11:45 伊周死後の隆家
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Негізгі бет 藤原隆家復活の真相 道長に取り入ることで伊周をよそに瞬く間に復帰する【光る君へ】
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