1 Everybody Wants To Rule The World Extended Version
#TearsForFears #EverybodyWantsToRuleTheWorldExtendedVersion
ティアーズ・フォー・フィアーズ始動以前に彼らが活動していたバンドにはグラデュエイト、
ネオン(Neon)等がある。
グラデュエイトは1979年に結成されたモッズ・スタイルのスカ・バンドであり、翌年にアルバム
『Acting My Age』及びシングル「Elvis Should Play Ska」を発表。
シングルは英国よりスペインなどヨーロッパ諸国で好評を博した。
ネオンは後にネイキッド・アイズを結成しヒットを飛ばすピート・バーンとロブ・フィッシャーが
主導するバンドで、2曲のみ録音を残している。
各バンドで、ローランドはギターとボーカル、カートはベースとボーカルを担当した。
ローランドとカートは2人が核となる音楽を求めて、ティアーズ・フォー・フィアーズ(以下、TFF)の名称で活動を始めた。
間もなくしてフォノグラムと契約し、1981年10月、デビュー・シングル「悩める子供達」
をリリース。ヒットこそしなかったものの良好なオンエアー率を記録した。
やがてローランドとカートは音楽上のパートナーを探していたキーボード奏者のイアン・スタンリーと出会う。
イアンの所有するスタジオを有効活用してつくられた3枚目のシングル「狂気の世界」が大ヒット。
快進撃は「チェンジ」、「ペイル・シェルター」と続き、これらの楽曲を収録した
ファースト・アルバム
『ザ・ハーティング(LP発売時の邦題は「チェンジ」)』を1983年3月に発表。
全英アルバムチャートで1位を記録する。
勢いに乗るTFFはイアン・スタンリー、ネオン時代の盟友であるマニー・エリアス(ドラム)
を正式メンバーとし、アンディ・デイヴィス(同郷のバンド・スタックリッジのメンバーとして
知られる)をサポート・キーボード奏者として迎えたバンドで、イギリス国内のツアーを行った。
しかし次のシングル「ザ・ウェイ・ユー・アー」がヒットせず、息切れを見せた彼らは休養し、
新たなアイデア作りの時間をとるため、音楽シーンから一旦姿を消す。
約1年近いブランクの間、彼らは新しいTFFサウンドを練り直すことに専念していた。
イアン・スタンリー、マニー・エリアス、そして5番目のメンバー的な存在となっていたプロデューサーの
クリス・ヒューズと共に生み出されたサウンドはより力強くキャッチーなものとなった。
1984年の12月にリリースされたシングル「シャウト」はMTVにおけるビデオ・クリップの頻繁なオンエアも手伝い、
全英シングルチャート2位、全米Billboard Hot 1001位を記録。
続いて「ルール・ザ・ワールド」が全英・全米1位、「ヘッド・オーヴァー・ヒールズ」
が全米3位。
アルバム『シャウト』は世界中で1000万枚近く売れるなど、折からの
第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンの波にも乗り、TFFの名は世界中に
知られることとなった。
大々的なワールド・ツアーが行われ、来日公演(1985年7月、東京・大阪・名古屋)も実現した。
ツアーに次ぐツアーの日々で疲れ果てたローランドとカートは、お互いの仲も悪化し、
解散を意識するまでに至る。
そんなとき、カンザスシティのホテル・バーでふと耳にした黒人女性の歌に大きな感動を
覚えた彼らは、自分たちの音楽の方向性に疑問を持ち始める。
ツアーを終え、新しいアルバム作りに取りかかるも、これまでのTFFサウンドの枠から出ない
イアン・スタンリーやクリス・ヒューズとの音作りにローランドとカートは満足できなく
なっていた。
カンザスシティのホテル・バーでのオリータ・アダムスとの出会いに新たなエモーションを
得たローランドとカートは、全くの無名だった彼女を抜擢。
新たなアルバム作りに向けてゲスト参加を要請する。
オリータはその後、ローランドのプロデュースでソロ・デビュー。
グラミー賞候補になるなど大きな評価を受けた。
オリータのボーカルとピアノに加え、 フィル・コリンズ、ピノ・パラディーノ、マヌ・カチェ、
ニッキー・ホランド等の
多彩なゲスト・ミュージシャンを迎えて作られた新たなTFFサウンドはこれまでの彼らの
スタジオ・ワークにはほとんど見られなかったライブ感を強く感じさせるものとなった。
本作の時点でイアンとマニーはすでに脱退しており、以降パーマネント・メンバーを加えずに
TFFはローランドとカートのデュオ(またはローランドのソロ)を核にサポートを加えて
バンド・サウンドを展開するスタイルとなっていく。
前作から約4年ぶりの活動再開であったが、1989年8月にリリースされたシングル
「シーズ・オブ・ラヴ」は全英5位、全米2位となり、またアルバム『シーズ・オブ・ラヴ』
も全英1位、全米8位を記録、彼らの復活を強く印象付けるものとなった。
全世界から大好評をもって迎えられた『シーズ・オブ・ラヴ』ツアーだったが、その最中に
ローランドとカートの不和が表面化する。
多くのミュージシャンが参加したイベント・ライブ「ネブワース1990」の
オープニング・アクトでツアーは幕を閉じたが、ツアー終了後になって、
ニューヨークに移り住んだカートが音楽誌に突然TFF脱退を発表。
事前に知らされていなかったローランドは大きなショックを受けた。
ローランドのそのときの心境は、カート脱退直後に発表されたベスト・アルバム
『ティアーズ・ロール・ダウン〜グレイテスト・ヒッツ』用に新録された
「ティアーズ・ロール・ダウン'92」にて吐露されているとも言われる。
なおローランドはこの頃、ジョニー・パニック・アンド・ザ・バイブル・オブ・ドリームズ
の名義でシングルを発表している。
ローランドとカートとの間には権利関係など様々な問題が残ったが、結局はローランドが
TFFの名を相続し、結果的にソロ・プロジェクトとなった。
一方、カートはソロ・アルバムや自分のバンド、メイフィールド(Mayfield)等で米国を
拠点に活動していくようになる。
ローランドは新しいパートナーとして旧友のアラン・グリフィスを選び、共同プロデューサー
にティム・パーマーを迎えて自分のスタジオでニュー・アルバムのレコーディングを始めた。
1993年、アルバム『ブレイク・イット・ダウン・アゲイン』は、カートの
ファースト・ソロ・アルバム『コーリング・アウト』と競い合うように同時期にリリース
されている。
ちなみにどちらも邦題は1stシングルのタイトルをカタカナ表記したものになっている。
カート脱退後のTFFの音は、より練り上げられて重厚さを増したものとなり
ローランドのボーカルはより力強く響く。歌詞は難解さを増した。
本作では、カートを風刺したと思われる「陸に上がった河童君」後にカートはアルバム『Mayfield』で「Sun King」というアンサー・ソングを発表している)
スタジアム・バンドになってしまい昔の新鮮な情熱を失ってしまった、
ほろ苦さを歌った「グッドナイト・ソング」等が収録されている。
本作はリリースされるまでにいささか複雑な経緯をたどった。
1995年5月にリリースが決まり、曲目までプレスに発表されていたのだが、突如TFFは
それまでのレーベルであるフォノグラムからエピック・レコードへと移籍。
それに従い収録曲、曲順等を若干変えて新たにリリースされたのだ。
原因は、フォノグラムがこのアルバムにプライオリティを置くことはないだろうと
TFF側が感じたためらしい。
アルバム『キングス・オブ・スペイン』からは今までの「心の痛み」といったTFFの音楽性に
おける重要なテーマが影をひそめ、ローランドの家系
(父親はフランス人で、バスク系スペイン人の王族の血を引く)や家庭についてなどの
パーソナルな内容となった。
その多くは暖かいラブ・ソングである。
ちなみに原題にある「Raoul(ラウール)」とは元々ローランドのあだ名で、彼が息子につけた
名前でもある。
アルバムに伴うワールド・ツアー「Live Kings Tour」も行い、エピックの大々的な
プロモーション戦略によりスペインの古城でライブ・セッションを行うなど話題を集めたものの、
今作はヒットすることなく終わり、エピックからも契約を打ち切られた。
1996年、ツアー終了の翌月に、シングルB面曲や、コンピレーション・アルバム収録曲等の
未CD化音源をまとめたアルバム
『サタナイン』
(日本でのみ発売されたCDボックスに収録されていたレア音源集『Flip』に手を加えた
再編集盤でもある)を発表し、TFFはまたしても沈黙期間に入ってしまう。
その後、カートはソロ名義でミニ・アルバム『Aeroplain』(2000年)を発表。
ローランドもまたTFFとしてではなくソロ名義にてアルバム
『トムキャット・スクリーミング・アウトサイド』(2001年)を発表する。
また、TFFの最初の3枚のアルバムをリマスターしたCDも発売された。
この頃から、オーザバル/スミス体制によるTFFの再結成が噂されるようになった。
噂は事実であり、和解した2人は再び一緒にスタジオでの制作作業を開始した。
2003年にはアンドレ・アガシ主催のイベントにて久々にライブでの共演も実現。
アリスタ・レコードからの発売予定が中止になるという前作同様のレーベル変更劇があった
ものの、2004年、分裂以来実に約15年ぶりに二枚看板が揃った新作アルバム
『Everybody Loves A Happy Ending』をリリース。
社会への視点をより成熟させ、ポップセンスとビートルズ的な要素に磨きがかかった
内容となった。
2人はさまざまなメディアで再結成をアピールし、アメリカ、ヨーロッパのツアーも精力的に
行った。
2006年には前年にパリで行われたライブの模様を収めたCD+DVD『Secret World』
がフランスでリリースされ、本国イギリスの輸入盤チャートにて長期にわたり上位に
ランクインした。
以降もオムニバス・ライブ・イベントである「Night of the Proms」への参加、
アメリカを中心としながらも世界各地で毎年のようにライブを行うなど、マイ・ペースに
活動を続けている。
2012年8月、サマーソニック2012に参加し、27年ぶりの再来日公演を行った。
2013年、新作アルバムのレコーディング中であることを発表。
インターネット上で3曲のカバー曲をリリースした
(後に3曲をまとめた、EP『Ready Boy & Girls?』としてアナログ盤が発売されている)。
2017年7月、インタビューにて新作のタイトルが『The Tipping Point』となることと、
収録曲からいくつかのタイトルについてなどが語られた。
同年11月、新曲2曲を含むベスト・アルバム『Rule the World - The Greatest Hits』
をリリース。
このアルバムに伴う英国ツアーを2018年に行う予定だったが、諸事情により2019年に
延期されている。
2021年3月13日付の『ビルボード』誌において「ルール・ザ・ワールド」が
「オルタナティヴ・デジタル・ソング・セールス(Alternative Digital Song Sales)」
というチャートで1位を獲得。
この曲が1985年6月に2週にわたって「Billboard Hot 100」で1位を記録して以来、
36年ぶりのチャート1位となる。
2022年2月25日、約17年ぶりとなる通算7作目のアルバム
『ザ・ティッピング・ポイント (The Tipping Point)』を世界同時発売。
全英2位、全米8位の大ヒットを記録した。
Негізгі бет Tears For Fears / Everybody Wants To Rule The World Extended Version
No video
Пікірлер: 130