例えば「誰かがドアに力を加えた結果、ドアが開く」という現象ひとつとってみても、The door opened.(ドアが開いた)、The man opened the door.(その男はドアを開けた)の、自動詞・他動詞どちらの表現でも表すことができます。しかしそこにはひとつの現象に対する人間のものの見方が表明されていて、①誰がドアを開けたかではなく、ドアが開くということに注目すれば(つまり人ではなくドアに注目すれば)「開く」という自動詞表現を、誰がドアを開けたのかに注目すれば(つまりドアでなく動作主の人に注目すれば)「開ける」という他動詞を選択します。受動態の「ドアが開けられた」も「ドアの動き」ではなく「ドアに力を加える人」に注目した表現です。 「ガラスが割れるのを聞いた」と「ガラスが割られるのを聞いた」では「ガラス」に注目するのか、「ガラスを割る人」に注目するという違いがあります。「ガラスが割られるのを聞いた」と言えば、それは誰か人がいて、その人が暴れていることに注目しているときに出る表現です。間違いではありませんが、私の動画の中ではガラスが割れる音だけに注目し、そこにある人の気配には全く意識がいっていないことを表す表現です。 ここから言える大事なことですが、言語は物理現象を物理的に表現するためには存在しません。物理現象を人間がどう見ているのかを表現するために存在します。よく中学生や高校生から「何分先の話からwillを使うのですか?」とか「何秒前の話から過去形を使うのですか」といった質問を受けた経験がありますが、これはそもそも英語を教える側が、言語のことを「物理現象を物理的に表現する」道具だと勘違いしていることに由来します。
いつも拝見しています。大人のやり直し英語、初学者です。 英文法を数学的に捉えると(というのも語弊があるのは承知の上で)、知覚構文の受動態において、They saw him going into the room.を He was seen to be going into the room.にすることは文法的に誤りなのかなと疑問が湧いてきました。(きっと不自然なのでしょうが・・) と言いますのも、They saw him go into the room から He was seen to go into the room.の書き換えと同じように不定詞を使うことがThey saw him going の書き換え時にも許されるなら、変換方法が不定詞一択に統合されてスッキリするのになぁと甘えたことを考えたからです。 毎日、先生の動画を拝見することで、学習のモチベーションを維持しています。ありがとうございます!
先生の動画でやり直し英語がんばっています。🙏✊ っでひとつこちらの動画でお聞きしたい事があるのですが、 「It is said that ~」~と言われています。 熟語がありますが、 その熟語を使うと先生の例文 ⑤ We often hear it said that we can't live alone. は、 We often hear that it is said that we can't live alone. とも言えるのでしょうか? もしお時間ありましたらご回答よろしくお願い致します。🙏😊
@TokiyoshiEnglishCompany
9 ай бұрын
冗長に聞こえますね。it said と言っているのをわざわざit is saidと長くするのに違和感を感じます。 We often hear it said that 〜か It is often said のどちらかで言うのがスマートだと思います。
KZitemの全ての動画を見ております。今日は最後の知覚動詞の受動態のところで、ちょっと分からないところがありました。 ネイティブの方が to goの方はあまり使わずに不自然で、goingの方は自然とのことですが。ではgoの方の能動態文を受動態文にする時に、go toを使わずにgoingを使うということなのか?それとも go の方の能動態文は受動態に基本しない、ということなのか?分からなかったです。 『この文は受動態にできない』といったことがあるとしたら、初めてだったのでびっくりしたわけなのですが。 どちらなのでしょうか?
@TokiyoshiEnglishCompany
2 жыл бұрын
注意してほしいのですが、to不定詞を使うのが間違いというわけではありません。そのネイティブの先生は「あまり使わない」と言っているだけです。 コーパスで検索をすると、「be動詞+seen+to不定詞」は254件であるのに対し、「be動詞+seen+〜ing」は1146件です。〜ingのほうが4倍強多く使われていることでわかる通り、英語ネイティブにとって知覚構文の受動態は〜ingを使うほうが「聞きなれた表現」ということです。わたしたち日本語話者も日本語で似たような表現を使い分ける時、それほど理由なく「聞きなれた表現」を選択します。それと同じようなものなのではないでしょうか。 考え方としてとても大切なことを述べておきます。 受動態の文を作る時、英語話者も日本語話者も自分の母語を話す時に「元の能動態の文はこうだから、それをこう変換して・・」ということは絶対に考えません。いきなり受動態の文を作るというところから始めます。ですから、英語の知覚構文の場合、受動態の文を作る時には知覚動詞を〜ingを「セット」にして話すのが自然に思われているのではないでしょうか。 具体例を挙げてもう一度説明すると、 He was seen entering the house. という文を作る時に、もとの文がThey saw him enter the house.だから、とか、They saw him entering the house.だから、とかはいちいち考えません。He was seenで始まる文を作ろうと思う時に、それが「耳慣れた表現」だという理由で、うしろにto enterではなく、enteringをつけるのだと考えられます。
知覚構文の受動態で to go があまり使われないのは、一般的でないという理由ではなくて、to go にしてしまうと、go しようと意思を持ったり、意思をもってその準備をしている時、という、going と比較して知覚しにくい時だからではないですか?そもそも go を to go にするのではなく go のままにしておく方がまだ違和感が少ないという気もします。
see that s v、あるいはsee+間接疑問文は主に「sがvすることを理解する」という意味で使われます。例えばCan't you see that she is angry?は「彼女が怒っているのがわからないのか?」ということですし、Do you see what I mean?は「私の言っていることがわかるだろう?」(=ほら見たことか・私の言った通りになっただろう?)という意味です[いずれもウィズダム英和辞典のseeの例文から]。 知覚構文のseeは視界に入る出来事を直接そのまま述べるわけですが、see that s vはもう少し間接的に「目に入る→出来事を理解する」という比喩的な意味の派生を表します。 知覚構文よりもsee that svの文は長くなりますが、その文、文の意味も間接的になります。このような現象を認知言語学では類像性(アイコニシティ)と呼びます。 これと同じことはhearにも起こり、hearの知覚構文が直接、音を耳にするのに対し、hear that s vは「〜であることを(噂・伝聞で)耳にする」という意味になります。
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