北海道岩見沢市 浄土宗西山禅林寺派「善光寺」 大久保瑞昭住職による短時間で聞けるショート法話です。 #仏教 #浄土宗 #浄土宗西山派 #法話 #お経 #念仏
#当・善光寺では、他の多くの寺院と同様に、「離檀料(りだんりょう)」は必要ありません。
もし、私の所に、ご先祖様のお墓やお位牌等が無かったならば、私の親戚にとっては、それは、ただ単に、私個人を訪ねることになってしまうのです。
そうなると、それは、親戚にとってみると、単なる「先祖の子孫に会う」ということになり、その方にとっては、「ご先祖様に会う」ということにはならないのですね。
もちろん、わたしたちは、いつも、仏さまや亡き人と共に在ります。
「心がこもっていれば、形にはこだわるべきではない」という意見もあります。
しかし、そこに、お墓やお位牌があるからこそ、実際に体を使って、そこまで出向き、改めて、「亡き人に会った」という事実を、自分自身にも、体得し、納得させるのです。
そうして、実体験として、「亡き人に会った」ということを受け止め、そこから、「私たちは亡き人と共に在る」ということを再確認し、「私もやがては亡き人のもとに往く」と認識していくのですね。
そのように、亡き人は、お墓やお位牌という形となって、私たちに「手を合わさせる」という機会を与え、「浄土」を思うように仕向けて下さっているのですね。
この苦の現世においても、必ず仏さま、亡き人は私たちと共にある。
だからこそ、しっかりと、その「苦」を受け止め、決して、腐ることなく、投げやりにならずに、生きて行ってほしい。
そういった、仏さま、亡き人の願いが、私たちに届いたからこそ、私たちは、こうして、この苦の現世でも、手を合わせる生き方をすることができているのです。
私たちが仏さま、亡き人に拝礼し、念仏を称える行為には、仏さま、亡き人の願いが、ぎゅっと詰まっているのです。
その仏さま、亡き人が願っておられる、この手を合わせる人生を生きていきましょうね。
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Негізгі бет 亡き人のお墓やお位牌に、「会い」に行く。 (ショート法話502)
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