武田信玄の6度にわたる猛攻を跳ね返した長野業正と箕輪城の紹介です。
上野国(群馬県)の長野業正の生涯や武田信玄との戦いについては当時の記録がほとんどなく、はっきりしたことはわかっていません。この動画ではひとつの説を取り上げて紹介しており、史実と異なる内容があることをご承知ください。また箕輪城跡も北条氏や井伊氏時代の遺構が多く、長野業正の時代の様子はよくわかっていません。
「上州の黄斑(おうはん)(黄斑=虎の意)」と呼ばれた長野業正。上野の国、現在の群馬県の戦国武将です。黄斑とは黄色のシマシマということなので虎を表しています。業正は武田信玄と何度も戦いこれを追い払ったことで有名です。ゲームにもちゃんと登場しています。戦闘能力が高く、どんな戦いに出ても大活躍できます。さらに業正の配下には剣豪「上泉信綱」もおり、このコンビで敵軍をバッタバッタ倒すのです。織田信長が活躍し始める1560年頃から始まるシナリオでは業正はすでに60代。なかなかの高齢ですが役に立つ「スーパー爺さん」なのです。
そんな業正が居城としたのが高崎市にあった箕輪城。ここで武田信玄の猛攻を何度も跳ね返したのです。現在この箕輪城の跡には大規模な空堀や土塁が残っており、また最近では櫓門や橋が再建され、業正が死守した城の様子がわかるようになっています。箕輪城は長野氏の後、北条氏邦や井伊直正によって改修され、現在見られる遺構はその時のものがほとんどと考えられますが、業正の活躍を想像するには十分です。今回は上州の堅城・箕輪城を紹介します。
Негізгі бет 武田信玄が6度攻めても攻略できなかった?【箕輪城】上野国を守った「長野業正」は戦いに強く義を貫いた老将だった!
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