初めて針をレコード盤に降ろした時の衝撃。アルバム作品としてのクオリティと完成度が高すぎて、その楽曲に影響を与えた音楽は何かとか、インテリジェンスに溢れたA面B面の完璧な構成はメンバーの誰の画策かとか、Orionのような長いインストルメンタルはもはやブログレと呼べるのではないかとか、その奥行の深さに圧倒されていろいろなことを考えました。Master of Puppetsの変拍子が癖になりますが、1970年代のGenesisのアルバム"A Trick of the Tail"に収録されたDance on a ValcanoをCliffは好きだったのだと思います。Cliffが生きていたら、Metallicaはもっと複雑怪奇な理解不能な音楽を志向していたと思います。当時の空気感としては大手レコード会社のメジャー感があったのはオジー、レインボー、ホワイトスネイク、マイケルシェンカー、スコーピオンズ、新人のボンジョビなどで、Exodus、Slayer、MegadethやMetallicaはプロモーションPVも作らないし、BURRN!ですらあまり載らないアンダーグラウンド感が漂っており、新譜が出てもプロモーションがかかることはありませんでした。前作"Ride the Lightning"は”Fight Fire With Fire”の「やばさ」で一部のスラッシュ愛好家から絶賛されはしたものの、チャートの上位になるとか来日するなどとても想像できず遠い儚い存在でした。1986年の初夏でしたでしょうか、たまたま書店で立ち読みしたFM STATIONのCASH BOX全米アルバムチャート30位にメタリカがチャートイン。雑誌を持つ手が震えました。まもなくMetallicaの来日が発表され、アルバムジャケット以外姿すらわからないまだ見ぬ巨人が秋深まる11月、中野サンプラザで公演を行うこととなりました。 当時、テレビ朝日が米国ケーブルテレビTV局のミュージックテレビジョンと契約し、週に一度、確か日曜日の夜に、一時間だけMTVが流される番組がありました。トゥイステッドシスターのディーシュナイダーがパーソナリティを務めるheadbangersballというメタル専門番組が月一のペースで放送されるようになり、モトリークルー、アイアンメイデン、ディオ、ラットといった商業メタルの中に、ある日突然メタリカの映像が流されました。当時はインターネットもDVDもなく、新宿小瀧橋通りのインディー専門店に行っても海賊版ビデオが高値で売られているマイナーなメタリカが深夜とはいえ公共電波を通じて日本に初めて流された最初の映像でした。それが後の市販ビデオcliff'em'allに収録されたday on the greenのライブ映像でした。 kzitem.info/news/bejne/0pqit62EnpFqp3o 誰もがこの映像を見て腰を抜かしてしまいました。
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