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【ゆっくり解説】昭和34年 伊勢湾台風 ー日本史上最悪の台風災害ー
Күн бұрын
【ゆっくり解説】昭和34年 伊勢湾台風 ー日本史上最悪の台風災害ー
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Пікірлер: 213
@RekiotaNoSeidai
7 ай бұрын
01:14 ×フルフショフ → 〇フルシチョフ 19:16 海部郡(×かいふぐん → 〇あまぐん)
@佐藤-w6i6u
Ай бұрын
母親の実家が瑞穂区で自分の家がめちゃくちゃになっていると思ったが、近所ではまだマシな方だったと言っていた。後日、祖父が家族の相談も無く多額な募金をしたと聞いている。自分の家も被害に遭っているのに、何募金をしていると揉めたらしいが、自分で稼いだ金で、家族も無事だったのに困った人を助けて何が悪いと一喝したと聞く。寡黙な祖父しか知らなかったので、この話は台風が来る度に思い出す。
@高瀬みずき-j9f
Жыл бұрын
19:16 かいふぐん ではなく、「あまぐん」と読みます。 海部元首相のおかげで何度も何度も読み間違えられてしまうんです…。
@RekiotaNoSeidai
Жыл бұрын
ご指摘ありがとうございます。地名の読み方は難しい。。
@うんこソーセージ
Жыл бұрын
うちの母ちゃんが小学生の時、この伊勢湾台風に襲われ絶望に泣き叫んだらしい。 今のような強固な作りの家でなく、 うすいベニヤ板を簡易に組み上げた 日本家屋の家だった。 災害直前に猛烈な風雨に見舞われ、 夜遅くガタガタと戸板が不気味に震え出した。 そこへ どですぱ〜ん!! 物凄い水圧の水が…!! ヤケクソで上がった2階の屋根の上で 助けを待ったんだって。 それを見つけた近所のおじさんが これに乗れ!!と小舟を近づけてくれたんですって このおじさんいなかったら母ちゃんも俺もいなかった。 ありがとうおじさん。
@選ばれたのは俺
Ай бұрын
どですぱーん とかいう擬音初めて見たわw
@woodywoody2228
Жыл бұрын
87歳の母も南区で被災しました。あまり思い出したくないのか多くは語ってくれませんが、台風だけは何時もしっかり対策していました。地震よりも怖いのでしょうね。 材木が流れてくる話がありましたが、いわゆる転がってくるではなく、縦回転で襲って来るのだそうです。信じられないですが、大車輪の状態、そしてすごい勢いで倒れてくるので当たったらひとたまりもない、と。
@megumiha25sai
Жыл бұрын
CBC(中部日本放送)のドキュメンタリーで被災した人にインタビューをしてたんですが、貯木場の木は 横に回転して流れてきたんじゃなくて縦にゴロゴロと回転して回ってきたんだそうです。 そんなものが縦向きに転がってきたらたまったもんじゃないですね。
@HaaHst
Жыл бұрын
祖母がキューピー人形が苦手になった災害だ...(隣の家の人が全員亡くなったらしくキューピー人形とかが流れてきたとからしくてキューピー人形見たら当時のこと思い出すかららしい)
@user-um7no9tv9m
Ай бұрын
本日、2024.8.28 勢力の非常に強い(935hPa)台風10号が九州に近づいてます。 以前にこの動画は拝見しましたが、再度見たくなりました。 明日にはもっと気圧が下がるようなのでとても心配です。 被害が少ないとよいのですが…。
@大野善広
Жыл бұрын
拝聴しました。私の両親も当時名古屋市南区で被災して伊勢湾台風の話はよく聞きました。大した事がないと考えていたら隣の部屋の畳が浮き上がり慌てて避難した小学校で2階へ上がれとの声で上がった途端に1階が濁流になったり子供を背負った母親が気付いた時に子供がいないと叫んでいた事など…当時学生だったという学校の先生から筏で遺体収容に従事したことなど悲惨な状況を伺い恐ろしく感じた。泥が付いた切手やアルバム、罹災証明書が今でも家に有ります。風化させてはいけない災害ですね。
@じゃんぼちゃん-y3u
Жыл бұрын
両親は名古屋市南区出身、育ちは弥富なので、伊勢湾台風の話は嫌というほど聞いて育ちました。 特に母は家にいたら平屋の天井に水が迫り、祖母が火事場の馬鹿力で頭突きで天井を突き破って屋根まで脱出したそうです。 幸いおじが交通局勤務で、すぐに交通局の当直所の一室を仮住まいとして貸してもらえたらしい。当直所に後からやってきた一家は、長島から命からがら逃げてきたと。 他にもエピソードはいろいろ聞いていますが、これだけでも当時の大変さを感じます。 この時を生き抜いたからか、両親は老後緑区の県営住宅に移り住んだ後、天白川沿いに避難勧告が出てるときに心配して電話しても、 「ここは上の階だで大丈夫だわ」 と逃げようともしなかったなあ(苦笑)
@みきはな
Ай бұрын
我が国の防災政策の根幹を形成した台風ですね。 両親は当時、中学で同じクラスでした。
@九万聖
Жыл бұрын
国道1号線あたりまでがかつての海岸線だったと、名古屋では教えられています。 私の家の近くには靴塚がありますし、消防署にはこの時の最高潮位を示されています。
@55moko55
Ай бұрын
親父が小学生の時に起きた台風で伊勢湾台風の時期になるとその時のことを良く語ってくれます 実家は木曽岬の堤防沿いの家ですが3件前の家の堤防が決壊したそうな… 無惨にも決壊した場所から扇状に水が傾れ込み堤防から内地に住む家の人達が犠牲になったと聞きます。 我が家は2階の床下まで浸水したものの幸いにも流される事もなく無事に助かったみたいで今の自分が生きております。 過去資料を見ると大抵堤防決壊の資料には昔の我が家が写っていたりします また、我が家に残っている写真で台風後の写真もありますが土壁も流され骨組みと土壁を塗る為の竹の下地しか残っていませんでした。
@sakaei4478
Жыл бұрын
叔父の家が南区又兵衛町にあり叔父が従兄弟2人を背負い流されそうな叔母の 襟首を従兄弟(兄)がつかみ濁流の中を避難所(小学校)まで歩いて逃げた話を 母から聞いたことがある。叔母が皆が流されるから従兄弟に放せと叫ぶのを 叔父が絶対に放すなと怒鳴り続けたという。叔父はその後自宅に戻り1週間以上 屋根の上で暮らしたそうだ室戸台風の時火事場泥棒にやられたことをすごく悔しがっていたそうだ 叔父は160㎝ぐらいの小柄な人だったけどすごい人だと尊敬している
@ぽん-r9k2o
Жыл бұрын
祖父が名古屋出身で街は浸水。至る所に遺体やら吹き飛ばされた看板や家屋の材木が浮かんでいたそうです。 当時子供ながら筏作って友人達と被災者救助や物資運搬をしたと言ってました。
@RekiotaNoSeidai
Жыл бұрын
貴重なお話ありがとうございます!
@hima1848
Ай бұрын
父親が堤防に水死体を戸板で運んで並べたって言ってましたね。 水死体は一度沈んだ後に腐敗したガスによりお腹がパンパンに膨らんできて浮いて来るけど、それが破れると腐敗臭がもの凄く、そして沈んでいって二度と浮き上がってこなかったと食事中によく語ってくれましたね。とてもメシがまずくなりました。
@散策ぶらタカセ
Жыл бұрын
素晴らしい取材力!!このままNスペにしても良いぐらいの完成度と感心します。特に台風が上陸する前の情報発信や、遠方(東京・山梨・奈良等)の被害情報などよく調べられています。今までのこの手のKZitemは台風の進路大きさ、被害の甚大さが中心でしたが知事の行動等も言及していて下手な民法番組より素晴らしいと感じました。このレベルで他の災害の企画もお願いします。どのような経験を持たれた方が作成したか興味があります。
@clakanapon_ch0729
Жыл бұрын
おお!伊勢湾台風をわかりやすく教えてくださりありがとうございます!毎回いろんな自然災害などを学ばせてもらっております。 これからも楽しみにしております。 そしてチャンネル登録者5000人突破おめでとうございます!🎉
@RekiotaNoSeidai
Жыл бұрын
嬉しいコメント、ありがとうございます!
@46103
Жыл бұрын
堀川の中橋の袂に「伊勢湾台風最高潮位」という記録が残してある
@hima1848
Ай бұрын
自分の町にも伊勢湾台風の最高潮位を指した鉄のポールに看板が取り付けてありますね。嘘と思うくらい高い位置です。さすが輪中地帯。
@Fanatia
6 ай бұрын
母が輪中出身です。 この時に限って言えば、輪中の人々の感想は「ひと世代に一回ぐらいあるかなりひどい水害と同じ程度かな」つまり「うち(輪中)ではままある事」ぐらいの認識だったようです。もちろん大変な被害ですが。母も輪中独特のあの水屋に避難して船を出す準備までしたと言っていました。 (実際あの辺はその後も大きな台風や異常停滞する梅雨前線によって水害をたびたび経験している) 輪中は沢山あるので、被害が甚大な輪中では実際に舟に乗り込んで難を逃れたり、その後の被災生活を送ったところもあったはずですが、母の地域ではギリギリ準備で済んだようです。 しかし自分が1983年~86年まで名古屋に住んでいた時に経験者が語る「伊勢湾台風の記憶」(いわゆる戦争の語り部みたいなもの)は、母の感想よりはるかにえぐかった。 その方は港区にいたそうで、貯木場の何十何百という丸太が一斉に高潮に引かれ、次の瞬間には高潮と共に破城槌となってあらゆる建造物を、意志を持った生き物のように破壊していたのだと、それを家屋のはがれた屋根にしがみつきながら、それらの丸太と共に波の上で行きつ戻りつしていたのだと…。 そう、自分はこの話を小学校低学年で聞かされたので、最初ッから丸太が縦に突っ込んでくる(断面の丸が対象物に向かって突き刺さって行く感じ)しか想像できていなかったんですが、知らない方がただ「丸太が襲って来る」と聞くと、ゴロゴロと側面が横殴りに迫ってくるのを想像するようですね。 そうじゃないらしいんですよ。 破城槌状態で縦に突っ込んでくるし、潮ですから波と共に何度も何度も行きつ戻りつして、1本の丸太でも何度も何度も壊しに来る。それが何十本も何百本もある。 そして細めの木材は強風で回転もかかっていたようで、軽い木材は丸太でも巻き上げられ宙を飛んできたそうです。
@abbtk14
Жыл бұрын
各地の河川が巨大な大堤防で囲われ川辺に降りる事も出来なくなって久しいですが、こうした途方もない大水害を経験すれば無理もないし当然なんですよね。地方によっては景観だの鮎だの言って護岸工事に反対する人達がいますが、近年大雨災害が増えているし、住民の生命財産と釣り合うものなどうか…。
@モア-s9n
Жыл бұрын
ちょうど台風直撃でけっこう騒がれて一段落したところだった。東日本大震災で津波が有名になったが、満潮時や低地への高潮ももっと注目されていいよな。
@RekiotaNoSeidai
Жыл бұрын
ゼロメートル地帯の危険性は相変わらずですからね。地震で堤防が破損した場合などを考えると、三大港湾のリスクは結構高いものがあります
@yk-shinichi1485
Жыл бұрын
作成お疲れ様でした。伊勢湾台風は多少なりとも知識はあったつもりだったのですがまさかハザードマップの原点もここからだったとは…
@RekiotaNoSeidai
Жыл бұрын
ありがとうございます!
@uyLksaAykBT
Жыл бұрын
先人たちの犠牲と努力で今の安心があるのですね。ちょっと不謹慎かもしれないけど、転んでもただでは起きない、という教訓にもなります。
@ルンルン-f6l
Жыл бұрын
このチャンネル何で登録者数伸びないのかが無茶苦茶不思議なチャンネルでしたが、遂に伸びる時が来ましたね。 観る人が増える=災害啓発やご先祖のご苦労を知るに繋がるので、誰も損はしない素晴らしいチャンネルですら、まだまだ頑張って下さい、いやこれからのご活躍をお願い致します。
@RekiotaNoSeidai
Жыл бұрын
ありがとうございます、励みになります!
@聖白蓮-c9c
8 ай бұрын
ほかと違って、ソースがしっかりしていて ちゃんと、詳しく調べてまとめてあるのも高評価です!
@鬼野一角-m9k
8 ай бұрын
いや、自治体は早い段階から警報を出して台風に備えるように喚起したんですよ。災害対策基本法が出来たのは伊勢湾台風の後ですからこの当時の対応は間違っていないと思います。
@酒麦-v4w
Жыл бұрын
父が港区出身です。2週間程水が引かず『中二階(くっそ狭いし天井低い)』で一家6人生活していたそうです。 本人割とケロッと話すので本人の中では戦争の次に起きた出来事で大したもんじゃないんだろうなと
@私は元のら猫
Жыл бұрын
台風には対応出来る対策しても南海地震の津波には対応出来ないでしょうね…。伊勢湾岸自動車道から見て😢
@bbmlukastudio
11 ай бұрын
貯木場の木が縦に転がってきたってね。ヤバいってもんじゃないな…
@ご安全に
Жыл бұрын
当時の近鉄は大阪周辺と名古屋周辺で線路幅が違った。でもこの台風で不通になった復旧工事のときに名古屋周辺の線路幅を大阪周辺と合わせたらしい。これをやらなかったら今のアーバンライナーも走れなかった。
@nabe9215
Жыл бұрын
元々は翌年に改軌工事をすることが決まっていたのですが、狭軌のまま復旧させるよりもこれを期に一気に改軌もしようという流れになったみたいです。
@長谷川亮-c4w
Жыл бұрын
当時の近鉄社長佐伯勇氏がアメリカから帰国して直ぐに名古屋線沿線の状況を視察し、完成したばかりの木曽川、長良川、揖斐川の鉄橋を見て 復旧工事とともに軌間を広げる改軌工事ができると判断したそうです。
@ねこまろ-u4p
Ай бұрын
のびゆく近鉄
@micro-dp6gg
Ай бұрын
75kmを10日で工事したとか
@かずと-p6n
3 ай бұрын
当時11歳でしたが、祖父が雨戸を補強していたのを思い出します。
@0758tks
Ай бұрын
画像にも表記されてますが、当時の気圧はhPa(ヘクトパスカル)で無くmb(ミリバール)です。
@ねこたぬき-l6f
Ай бұрын
「伊勢湾台風で避難する時にお姉さんとかが先に行っちゃって暗いとこに一人取り残されて、それから暗いところが怖くなった」 ってばーばが言ってたな、、、 台風って怖すぎるだろ
@swne3603
8 ай бұрын
過去の災害は時が経つうちに忘れがちですので、このように情報提供していただけると大変参考になります。
@maikajiki594
Жыл бұрын
いつも更新楽しみにしてます!災害系なので楽しみというのも良い表現ではないかもしれませんが、、、 当時の新聞や手記?を原文ママ音声にしてくれるのがすごく良い!と思ってます。 いつも分かりやすい解説ありがとうございます。
@RekiotaNoSeidai
Жыл бұрын
ありがとうございます! できるだけ当時のリアルな感じを伝えようと作っているので嬉しいです
@コットミゲール
Жыл бұрын
伊勢湾台風の時は、電電公社の仕事で東京に行っており、難を逃れました。
@SPLYSsg
Ай бұрын
かなりご高齢の方ですね! 80代半ば過ぎですか?
@yuki-ds9nr
8 ай бұрын
私の亡き父が伊勢湾台風を経験してたなぁ。だから『台風の右側がキツい』って台風が来るたびに言ってた。私らよりすごく警戒してたよ(父は三重の伊勢出身)
@ぎんぎつね-p4i
Жыл бұрын
愛知県の山も大きな川もない地域に住んでますが、小学校に当時の水没した校庭の写真が飾ってありました 自分が体験した東海集中豪雨でもそこまでの被害はなく、想像を絶する災害だったのだなと改めて思いました
@tobyon1973
Жыл бұрын
締切堤の再建を喜ぶ自衛隊と地元の学生のエピソード、涙が出そうになります。
@snowCure
Ай бұрын
被災当事者だった親が話していた翌日は運動会が予定されていたと聞いた事を思い出しこの災害の悲惨さを改めて実感した
@猫の下僕-q5w
2 ай бұрын
長島にいた事あるけど、アチコチの電柱に伊勢湾台風の水位が書いてあったり、二階の高さにボートが吊るしてあったり、各家に防災倉庫?がある場所があったり、被害の大きさを感じさせた。 またいつこのクラスの台風が来ないとも限らない。 学べることは学んでおかねばと思う。
@豊田茂-h1e
Ай бұрын
65年前
@murasondayo
7 ай бұрын
名古屋市防災センター(港区)で画像が視聴出来ます。
@gaizi317
Ай бұрын
ある自然公園に自生してた松茸が、伊勢湾台風で粘菌が流されて採れなくなったってお祖母ちゃんが言ってたな
@黒龍-k8d
Жыл бұрын
ここ近年って伊勢湾クラスの台風発生しても勢力衰えず直撃って無いよな、ありがたや。
@増田夏美-d7c
Жыл бұрын
沖縄・鹿児島はそうでも無いが。
@緑茶-l1r
Жыл бұрын
よく耐えてるもんだよ。
@peace_peace_z32
Жыл бұрын
ボクらの大好きなげんぱつの熱排水で地球温暖化を加速させていますから 気をつけましょう 命を護る行動です
@yako3294
Ай бұрын
数年前に千葉県にメッチャ凄いの来たよ😅
@kanafy7
Ай бұрын
@@yako3294 それでも規模が違う
@LiberJP
Ай бұрын
父親の実家が瑞穂区南西部で、浸水するかしないかくらいの場所だった模様 伊勢湾台風の時の話をされたことはないが、私の生家となる家を購入したときの場所を選ぶ基準を 「伊勢湾台風で浸水しなかった場所」にしたという話を聞いています(現あま市の北部になります) そのためかはわかりませんが、2000年の東海豪雨をはじめ、大きな水害があっても一度も浸水したことはないので 父親の選択は間違ってなかったんだろうなぁ
@kotyun7978
6 ай бұрын
高潮だけでこんな被害になるのか… こんなに犠牲者が出てたなんて知らなかった
@伝説の麻婆豆腐
Жыл бұрын
5000人突破おめでとうございます🎊 関空の橋に船が激突した時でも街路樹が倒れてたもんなあ 津波の心配の無いところに住居を構えたとは言え、あれ以上となるとやはり怖いね
@RekiotaNoSeidai
Жыл бұрын
いつもコメントありがとうございます!
@azsogd
Ай бұрын
大学生のときに、大学図書館でバイトしていましたが、そこは大学職員と学生バイト、近所にすむご老人(シルバーセンターからの派遣)で回していました。 そのとき、シルバーセンターから派遣された方に、子供の時に伊勢湾台風に遭った方がいました。 幸い、当時としては珍しかった鉄筋コンクリート造りのアパートの2階に住んでいたので助かったそうですが、 どんどん水位が上がる中1階の家族をベランダから引き揚げ、一か月以上下の家族と一緒に住んでいたそうです。
@matsu6909
Ай бұрын
生まれてないけどあまりに有名で名前だけ知ってます。耐震技術もまだない頃なので仕方ないんだと思いますが、窓を板で打ち付けて固めて雨戸を閉めて対策しても、扉が弓なりになってきしみ、風に蹴破られないように押し返したようです。また、台風が去って救助活動中、高い木の枝に今にも死にかけの小学生がひっかかってたとも。恐ろしすぎる。もうどんな台風がきてもこれよりはマシだろと思いますし、実際なかったと思います。。今も台風接近中だけど、伊勢湾よりマシだと思うしかないですね。家なくなるのは勘弁ですけど…。もはや台風というより津波のレベル。
@kinokino3484
Жыл бұрын
祖母が当時三重県四日市市に住んでいてその時の話をたまにしてくれます。 家が冠水し飼っていた鶏が沈んでしまったり汲み取り式便所が溢れ足を滑らせ流されかけた話であったり…
@つな-s2s
3 ай бұрын
伊勢湾台風について詳しく取り上げてくださり、ありがとうございます。当時の私は9歳で住まいは三河ですが、大変に恐怖を感じたことを憶えています。雨風の凄まじい音を聴きながら、布団に隠れるように潜っていましたが、とても怖かったですね。 伊勢湾台風の本筋からは離れたどうでもいい話ですが、18:50に登場する桑原幹根知事は、ビールに燗をつけてお飲みになる、と、我が町にお出でになった時に、お付きの運転手さんから教わったことがあります。 知事晩年の頃で、確か昭和49年の頃ですね。私は桑原さんと宴席でご一緒したことはありませんので、事実かどうかは分かりませんが、桑原さんのお名前を見かけるたびに、その話を思い出します。
@toshkik1794
Жыл бұрын
19:20、「かいふぐん」ではなくて「あまぐん」
@shom5261
Жыл бұрын
当時、両親が大阪に住んでいたのだが、たまたま東北の実家に帰省していて、帰ったら「数日前まで、断水してて大変だったんだよ」と近所の人に言われたと言ってました。国際会議場に行った時、周辺を散策したのてすが、伊勢湾台風の被害状況を記録した看板が沢山あり、その悲惨さが伝えられています。
@yu_novels
8 ай бұрын
奥吉野の祖父母の家は川から10mぐらいの高さの場所に建っていたらしくて浸水を間逃れたらしいですが,少し下にあった家は流されたらしくこの話を聞いたときゾッとしました。
@なつる-d4x
Жыл бұрын
電柱に伊勢湾台風時ここまで水位があがりましたって表示があるけど、2階くらいの位置でビックリした。あのあたりは大きい河川も多いから怖いですよね。
@ネオ甘甘将軍
Ай бұрын
2024.8.27にコースそっくり速さはゆっくりで伊勢湾台風に匹敵するようなのが来るとされている。関西東海関東東北は猛烈な暴風雨か
@お米-y5u
Жыл бұрын
米国のがハリケーンと同レベルがいつ来てもおかしくない。
@SatosiSuzuki-jk8xp
Жыл бұрын
発生数・勢力共にハリケーンより台風のほうが多く強い。ただし、アメリカでもフロリダ半島などは低緯度にあるため強いハリケーンが来る可能性がありますね。日本で例えるなら沖縄あたりに相当しますかね。
@お米-y5u
Жыл бұрын
@@SatosiSuzuki-jk8xp 様、成る程です。
@AA-ee5fu
8 ай бұрын
私は、昭和31年生まれで、記憶は、ありませんが、当時東区に住んでおり、風雨による被害しかありませんでした、ただ2、3日前から、雲が騒いでると母は、思ったと言っていたのを、思い出します、父は市電の運転手で、名古屋の真ん中から少し南まで水に浸かっており、貯木場から流れ出した材木により家屋が破壊されたと、聞きました、後に名古屋港を守る為港入り口に、高潮防潮堤が、作られました、後に室戸台風か、来襲するまで日本で一番強い台風と言われていました、 後に私も災害地を見てまわりましたが、残害が残って居た事、また自宅近くには、三菱航空機製造、隣りに住んで居たため、爆弾の後が多くあり水が溜まって池となって居た所や、防空壕後が残っており、また中島航空機製造、今のスバル、等があり、名古屋の大空襲も有名です、愛知県は、あまり有名では、ありませんが、大きな自然災害や、戦争被害、も意外に多く受けています、ただ時代背景も有り、知られない事が多い県です、
@user-dc1hn1gz7q
Ай бұрын
弥富に住んでいた私の祖父が言うには、畳が濁水で舞い上がって、大変なことになってしまったと。 命からがら逃げて助かったみたいです。
@ネコきつ
Жыл бұрын
BGMの音量を下げて欲しい 良い動画なのに勿体ない
@RekiotaNoSeidai
Жыл бұрын
ご指摘ありがとうございます。 前にも指摘があって下げたのですが、もう少しですかね
@ひまじん-u5j
Жыл бұрын
父が三重県松阪市に住んでいたときに、被害にあったそうです。 太い大黒柱がグラグラ揺れてたそうな。 力士の立ち合いでも揺れなさそうな大黒柱が揺れるなんて、想像もつきません。
@悟朗江桜
Жыл бұрын
素晴しい動画をありがとうございました。一つだけ不満を申上げると、岐阜県の被害について、言及が皆無だということです。輪中地帯は寧ろ、愛知県や三重県より、岐阜県の方が多く、特に西濃地方は、壊滅的な打撃をこうむりました。我が家も、当時の母の在所も、膨大な損害を被り、父からも母からも、度々当時のことを聞いています。伊勢湾台風は、血涙下る、岐阜県民苦難の歴史でもあるのです。
@GoMiyaShiki-z1y
11 ай бұрын
現在のGBS岐阜放送(ぎふチャン)の開局の契機も伊勢湾台風だと聞いたことがあります。それ以前にも岐阜県にはGHK岐阜放送(のちRTCラジオ東海)が存在していましたが、三重県のラジオ局と合併して東海ラジオとなって名古屋へ転出してしまっていました。東海ラジオや先行のCBCラジオは岐阜県も放送エリアに含まれていたとはいえニュースや話題が名古屋に偏りがちだったので岐阜県の人達が不満に思っていたようですね。
@matsu6909
Ай бұрын
仕方ないんじゃないのかね。どうしたって人が集中したり最も被害が多き場所を報道するのは仕方ないじゃないか。311でも当然岩手県とか福島県とかばっかりやってたけどさ。人知れず3月15日に静岡県が震源の震度5強がしれっとあったけど、話題になんてなったか?本棚の本が真横にぶっとんだが。耐震の違いもあるけども、この台風なんか5千人も死んでるんだから。
@ヘブンフィールド
Жыл бұрын
自分が産まれる前の出来事ですが被害が多かった地域に住んでいましすので大変さはめっちゃ聞いております 1か月くらい水が引かなくて伝染病とかも蔓延したそうです この台風によって色々なものが見直されたそうですね 太平洋側の堤防の高さもそうらしいです 日本海側の堤防と比べると全然違います 台風予測や天気のレーダーなんかもこれによってかなり良くなったそうですね
@稲荷恵比寿
Ай бұрын
貯木場の木材が被害を拡大させたわけですが、その木材は復興用に海外から集められたものだとすると、なんという巡り合わせなんだろう。
@manekineko66
Жыл бұрын
木曽崎で被災した人の話では、夜に堤防が嫌な音を発しているので皆が高台に逃げたそうだが、まだ決壊していなかったので慌てて逃げ出したので家に貴重品などを取りに戻った人たちが、決壊に巻き込まれて多く偽性になったそう。桑名市内で被災した人は,二階に逃げていたら外から「助けてくれ~!」と声が聞こえて外を見ると屋根の下まで溢れた水に人々が流されていたと話してましたね。被災地に入った家族は、家畜がいっぱい浮いていたのが印象に残った様子
@kato-takehito
8 ай бұрын
令和元年東日本台風も死者100人以上、長野の新幹線車庫も水没して全部廃車になるような大災害でしたが、それでも過去の知見により、何とかそれだけで済んだと言えるレベルのスーパー台風でした。 台風は予知して備える事はできるようになったけど、その巨大な力には抗えません。
@songbooktube1161
Ай бұрын
亡父が社会人になってまだ数年の頃、名古屋市の西区で働いていて、被災したそうです。西区でも中区に近い辺りだったそうで、アパートは水没し、屋根の上で助けを待っていたと話してくれました。それはひどいものだったということです。 今日現在(令和6年8月24日)日本に近づいている台風の予想進路が、なんか伊勢湾台風に似ていたのでこの動画を見てしまいました。ま、こちらの台風とは規模が違いますが、備えをしているところです。
@rasiraka305
Жыл бұрын
津島市の水が引いたのは年末だと聞きました。
@ポリエステル-f5b
9 ай бұрын
災害系チャンネルは為になります。 災害への防災意識向上のために頑張ってください。
@erikuwahara5930
10 ай бұрын
過去の映像を見ると護岸が崩壊してましたね いかに高潮の破壊力が凄いか変わりますね 関空も高潮で一時水没しましたからね 地球温暖化と言われても 未だに伊勢湾台風を凌ぐ台風は来ませんね
@ウイスキー呑み
Жыл бұрын
ついに伊勢湾台風か…
@nomusuke-19
11 ай бұрын
大阪やけど大きな台風がくると、母はいつも伊勢湾台風の恐怖を語ります。
@gachapin3104
Ай бұрын
伊勢湾台風を産まれる前で食らっていなくても、話や街のあちこちにある表示などで、東海地方の人間はそれぞれ「分かってはいる」 「伊勢湾台風レベル」って言われたら、少なくとも40代以上は構える。
@TM-gb4fb
Жыл бұрын
伊勢湾台風の復旧作業の素早い事、何か地域的に特質が有るのかしら!
@かっちゃんチャンネル-v4p
Жыл бұрын
たんすを階段状に引き出して登り天井の板をはずして上に避難したと話されていた人がいました。真相は不明。
@ottotto-ig9lz
Жыл бұрын
名古屋の北部にある一級河川の矢作川、庄内川の堤防が決壊しそうになり、被害最小にするために人工的に決壊をしようとしていたという。しかし、実行されずにすんだ。
@tororo321
9 ай бұрын
矢作川は三河名古屋にあるのは矢田川
@smura777
Жыл бұрын
アメリカ🇺🇸軍の活躍、災害対策基本法、ハザードマップの原点 初めて知りました。
@kayou-222
Ай бұрын
春日井市ですが、うちの母が家の屋根が吹っ飛んだって言ってました。 家の屋根が吹っ飛んで途方に暮れた祖母がブチ切れて祖父が勤めていた消防署に自宅の屋根が吹っ飛んだのに帰らせないとは何事だ‼️って食ってかかったようです。 台風前から詰めていてそんな中被災して近所の人の家に身を寄せていて肩身は狭いわ、1人で子供2人抱えてしかも1人は難病抱えていたのもあって心細いわでぷっつん切れてしまったそうです。 片付けも祖父は消防署に行ったきりで、近所の人達に祖母が頭下げて回って本当に大変だった様です。
@永嶋優輝
Жыл бұрын
チャンネル登録者5000人おめでとうございます㊗️ あっという間に5000人いったので1万人はすぐいきますよ‼️ 本当におめでとうございます✨
@RekiotaNoSeidai
Жыл бұрын
ありがとうございます!
@mugi-cha-nenju
Ай бұрын
若い頃大型台風が来るたびに、会社のおじさん達が「伊勢湾台風はこんなもんじゃなかった」と言っていた。
@maro22412
Жыл бұрын
名古屋県って言っちゃった!と思って二度見した。
@TM-gb4fb
Жыл бұрын
名古屋県は少しの間実在しましたよw
@ユニコーン-z4i
Жыл бұрын
私が小学生六年生頃と思う。向かいの屋根瓦が2、3枚飛んで行った。初めは風台風と思ったが、洪水被害が大きくて大変だった。後日、大阪府警の職員が救助隊が応援に行ったとか?当時の公務員は偉かった、奉仕の心構えが素晴らしい。
@ナチュラルミント-i5n
10 ай бұрын
今どきの知事なら、「想定外」と言うだけで国から言われるまで何もできずに被害を増やすだけだろう。 昔の任命制時代の知事や戦後すぐの知事の方がだいぶマシに思える。
@東雲棗-t4w
Ай бұрын
私の母も伊勢湾台風で被災しました 曰く、「流れて来る丸太は転がるから掴まれないし、当たれば無事では済まないから恐怖だった」とのことです 台風が過ぎ去った後、瓦礫とご遺体と家畜の死骸が泥水に浮かぶ中、弥富町(今の弥富市)から流出した金魚で子供たちが金魚掬いに興じていたそうで 当時の子供たちはなんともタフですねえ…(洪水を生き延びた金魚も凄いですが)
@ミスティ
Ай бұрын
私は伊勢湾台風は体験していませんが、山口百恵主演のドラマが伊勢湾台風を題材としており、毎回ドラマ冒頭で伊勢湾台風のニュース映像が流れてかなり怖かったです。
@磯村剛-f1b
Жыл бұрын
愛知県民ですが、実家で昔、働いていたオジイちゃんが「伊勢湾台風の時は船で水の中を渡る途中で、何か引っ掛かったな?」と思ったら「人の死体」だったコトがあったそうで、ひえっ⁉となった記憶が…😅
@きんたくんて-s7s
Жыл бұрын
伊勢湾台風で大台ヶ原の鬱蒼とした原生林の木々が根刮ぎ倒れ禿げ山となり、これ以降に笹が一面に蔓延り笹を餌さとする鹿が増え、生態系が大きく変わってしまった。
@yuki-rp9yv
Ай бұрын
伊勢湾台風と聞くと「赤い運命」を連想してしまう。
@伊藤やよい-l6w
Ай бұрын
山口百恵さんの、ドラマ、赤い運命は、伊勢湾台風⚡🌀☔が原因でしたね。私はまだ、小学校上がる前だから知らなかったけど、伊勢湾台風は凄かったみたいですね。
@まこと藤村
Жыл бұрын
推理小説に名称が載っていたので気になっておりました。アップありがとうございますm(__)m
@ohkago4144
7 ай бұрын
昨今は温暖化で海水温が上昇、台風にエネルギーを供給して大きな台風が上陸しそうだ😢
@伊東助清
3 күн бұрын
伊勢湾台風言えば、近鉄名古屋線の改軌を思い浮かびます当時ヨーロッパ出張中の佐伯勇社長が電報で復旧見込み出ずで帰国後視察し決めた話です。 災い転じて福となすと言って、改軌を決めたそうです近鉄名古屋線は改軌を伊勢湾台風以前から計画していたので復旧と改軌をやるという合理的な判断になった思います。
@marcht5566
Ай бұрын
貯木場からの流木での被害のくだりですが、材木は普通に流れてきたもの以外に、縦に車輪のように回転しながら流れてきたものもあったそうです。巨大な車輪のように回転する材木が家にぶつかると、家は木っ端微塵だったと聞いたことがあります。
@einsfia
Ай бұрын
どうでもいいところだけど、「フルフチョフ」って誰よw 知ったかぶって本件と関係ない適当な情報に触れなければいいのに
@かずきささき-c5c
Жыл бұрын
名古屋市南部の山崎川北側付近に住んでいた。山崎川の堤防が決壊して床まで水がきたが、南側も決壊したので多くの水は南側に流れ多くの死者がでた。 翌日は晴れて、水は引かなかったが、金魚がたくさん泳いでいてリュウキンをつかまえていた。
@veryvery525
3 күн бұрын
伊勢湾台風。 名前は知っていましたが、想像を絶します。 しかしながら、大変ためになりました。 地震だけではなく、台風や火山に付いてももっと知りたいと思いました。 動画制作お疲れ様でした。 ありがとうございます。
@mt7185
Ай бұрын
遅まきながら動画を拝見しました。 私の両親が幼少期に伊勢湾台風の浸水被害を経験し、よく話してくれました。 私の母は三重県三重郡楠町(現在は四日市市と合併されています)に住んでいたため、事前避難が全町で行われ人的な犠牲者はひとりも出ませんでした。 その経験から、事前避難の大切さを何度も叩き込まれました。
@坂田庄司-g6n
10 ай бұрын
愛知県在住ですが、亡父が当時名古屋から知立の自宅へ帰宅するのに名鉄電車に乗車していたが、堀田駅で運転がストップし、東の方の高台へ避難したと言っていた。当時の駅は高架ではなく地平にあった為。
@rasiraka305
Жыл бұрын
高潮で小学校の運動場が水浸しになった。3日後登校したら水たまりにサヨリが泳いでいた。我が家は床下浸水だった。庭の落ち葉の下に海水に追われたのだろうドジョウが何匹も潜っていた。。
@坂田庄司-g6n
Ай бұрын
昭和の時代、知立から名鉄電車に乗り名古屋へ行く際の車窓から、新堀川、堀川を渡る時に目に入るのが水面に浮かぶ大きな貯木。日常的に置かれていたこれらが被害を拡大したのも一因。平成に入り貯木場が無くなり、ショッピングセンター等に変貌した。
@Nobo-ri5yl
Жыл бұрын
子供の頃伊勢湾台風🌀~室戸台風🌀~怖かったな~これから秋台風🌀は怖い
@ザッハートルテ-o8v
Жыл бұрын
当時我が家は名古屋市西区在住でしたので水の被害は受けなかったとのことでしたが、とにかく暴風が物凄く、家ごと吹き飛ばされるかと恐怖の一夜を震えながら過ごしていたと亡き祖母からよく聞かされて居ました。
@imori9587
29 күн бұрын
この伊勢湾台風の災害ゴミを積んで作られたのが、名古屋市緑区にある滝の水公園… 暫く腐敗液の滲み出しとかで近隣住民は大変だったようですが…今では立派な広域避難場所になっています
@tm141
7 ай бұрын
正直、名前だけ聞く伊勢湾台風って暴風で窓ガラスが割れたり床上浸水したり、みんなが家から出られなかったくらいのイメージだった。子供の頃、台風になると母がおむすびを作る理由がわからず、作ったものを食べさせてもらって楽しかった。避難になったら持っていくためだったのか。こんなめちゃくちゃな恐ろしい台風は自分は記憶がない。 父母の頭にあったのは、こう言う台風の災害のイメージだったのか。母はよく室戸台風の話をしていたもんね。
@豊田茂-h1e
Ай бұрын
めちゃくちゃ古い
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