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「箱根山迎撃作戦」はこの動画内でのみ用いた名称です。本来の作戦名称とは異なります。
1590年、九州から畿内のほとんどを手中に収めた豊臣秀吉は、関東の大勢力北条家討伐のための軍を起こします。天下統一を成し遂げる最後の戦い。これまでに例を見ない全国からの大軍が、東海道、東山道、そして海路から関東に押し寄せます。
一方、それまでなんとか豊臣政権とのやり取りを繰り返し、あわよくば生き残ろうとしていた北条家にとって決戦は歓迎するものではありません。それでも「いざ戦になったらこうしよう」と思っていたであろう戦略があったんですね。それが箱根山迎撃作戦。
箱根は相模と駿河の国境にそびえる山で、北条家の本拠小田原のすぐ西にあります。最高所は1400mを超え、東海道から関東に入るためには絶対にここを超えなければならない交通の難所でした。街道が通ってはいますが、それは樹木に覆われ細く急な坂が続く果てしなく続く道。足場も悪く見通しもきかず、命をおとすかもしれない大変なこの山越えのルートだったのです。
北条家はこの険しい箱根山に城を築いて街道を封鎖し、関東に入る手前で豊臣軍を壊滅させてしまうことを考えていました。これが「箱根山迎撃作戦」です(この動画内での呼び方です)。
箱根山には古くから何本もの街道が通っていました。主なものとして、現在の静岡県三島市から箱根峠を超えて小田原に至る箱根路、そして御殿場小山から足柄峠を通って神奈川県山北に抜ける足柄路があります。
このうち北条家が箱根路の途中に築いたのが畝堀(障子堀)で有名な山中城。街道をわざと城内に通し、通過しようとする軍勢をV字型に挟み込む造りとなっています。豊臣軍との戦いが迫る中、突貫工事によって出丸や曲輪が追加さようです。現在山中城の跡はきれいに整備され、たくさんの城好き見学者が訪れています。見どころは西曲輪周辺の堀。格子状に区切られ一度落ちたら這い上がれない畝堀が曲輪の周りを廻っている姿は、誰が見てもすごいなと思うでしょう。土塁と堀の跡しかないのですが、なんと「日本百名城」の一つに認定されています。山中城での戦いについてはこのチャンネルの別の動画で紹介していますので、よろしかったらそちらもご覧ください。
箱根を超えるもうひとつの足柄路のほうはどうなっていたのかというと、北条家は抜かりなくこちらにも城を整備していました。これが足柄城です。今回の動画はこの足柄城を紹介したいと思っています。
足柄路が開かれたのはかなり古い時代で、なんと899年には関所が設けられていたとのこと。はじめはこちらが東海道のメインルートだったんですね。しかし富士山の噴火の影響によって通れなくなった時期があり、その間に箱根路が整備されたようです。江戸時代までには箱根路がメインとなり足柄路は脇往還。現在もほとんどの車は箱根路を通過していますが、歴史はこっちの方が古く、本家というか元祖東海道ということになります。街道防御についても足柄城のほうが山中城より早く築かれていたようで、先輩になるわけです。
足柄路の一番高い場所は標高759m。その峠の部分に足柄城は築かれていました。そして街道を監視できるようにいくつもの曲輪が並び、「この城を落とさなければ絶対に足柄は通過できない」ようになっていました。特に敵が攻めてくるであろう西側には「五連郭」と呼ばれる5つの曲輪が配置されており、現在もその跡を確認することができるんですね。城好きにとってはたまりません。
このように重要な国境防衛の役割を持っていた足柄城ですが、実は日本百名城などには選ばれておらず、山中城と比べてかなりマイナーな城跡です。私が現地を訪れた時、なかなか大勢の人が見学していて人気の城だなと思ったのですが、ほとんどの方の目的は城の跡から見える富士山の絶景で、そこで心が満たされ帰られるようです。その先にある「五連郭」に足を進めて城の遺構を楽しんでいる方は、私以外に一人しか見かけませんでした。基本的に空いている城です。見学ルートもある程度整備されていますので、じっくり楽しもうと思います。
Негізгі бет 【足柄城】豊臣秀吉対北条の戦い「小田原征伐」箱根山に築かれた要塞の跡
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