北条氏の武蔵支配の野望の前に畠山重忠は滅亡しましたが、重忠の妻が足利氏から婿を迎え名前は残ります。
畠山氏は管領を輩出する大大名となり、応仁の乱のきっかけとなるほどの影響力を持つようになります。
一方、諸説あるものの、重忠の娘が、のちに薩摩藩主となる島津氏に嫁いでおり、その縁もあって、畠山氏の関係者が島津氏に多数召し抱えられました。
島津氏も、畠山重忠の武勇を自家と関連付けるために、承久の乱で先陣を志願するなど、重忠の事績を継承しようと積極的に動きます。
今回は、畠山重忠死後の畠山氏の変遷、室町時代以降の畠山氏、そして島津氏に受け継がれた畠山重忠の事績について紹介します!
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参考文献
山野龍太郎「畠山重忠の政治的遺産」(北条氏研究会編『武蔵武士の諸相』)
amzn.to/3dub0p4
清水亮『中世武士 畠山重忠』
amzn.to/3QWY3BT
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Негізгі бет 足利氏だけでなく島津氏にも受け継がれた重忠の系譜 畠山重忠の子孫のその後【鎌倉殿の13人】
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