□注釈と引用
*1 ジェンダー・トラブル p125
「ではフロイトの因果関係の物語を逆転して、一次気質を法の結果だと捉えることには、いったいどんな意味があるのだろう。『性の歴史』の第一巻でフーコーが批判したのは、抑圧的な法に関して、存在論的な全一性と時間的なまえを温存する起源としての欲望(ラカンの用語では『欲望』ではなく、快楽)を想定する抑圧仮説である。」
*2 ジェンダー・トラブル p46
「「理解可能な」ジェンダーとは、セックスと、ジェンダーと、性的実践および性的欲望のあいだに、首尾一貫した連続した関係を設定し、維持していこうとするものである。換言すれば、連続せず首尾一貫していない奇妙な代物は、連続性と首尾一貫性という既存の規範との関係によってのみ思考可能となるので、こういった奇妙な代物をつねに禁じると同時に生み出しているのは、まさに、生物学的なセックスと、文化的に構築されるジェンダーと、セックスとジェンダー双方の「表出」つまり「結果」として性的実践をとおして表出される性的欲望、この三者のあいだに因果関係や表出関係を打ち立てようとする法なのである。」
*3 ジェンダートラブル p21
「事実、フェミニズムの主体としての女の問題を考えていくうちに、法の「まえに」存在する主体ー法のなかで、法によって表象されるのを待っているような主体ーなど、ないかもしれないという可能性が出てきた。おそらくこのような主体は、時間的な「まえ」という概念と同じく、法自身の正当性を主張するための架空の基盤として、法によって作り出されたものである。法のまえに存在する主体が存在論的な全一性をもつという、広く行き渡っている仮説は、古典的リベラリズムの法構造を成り立たせている基盤主義の寓話ー自然状態が存在するという仮説ーの現代の痕跡と理解した方が良いだろう。」
*4 ジェンダートラブル p24
「私が示唆したいのは、フェミニズムの主体の前提をなす普遍性や統一性は、主体が言説をつうじて機能するときの表象上の言説の制約によって、結果的には空洞化されてしまうということである。実際フェミニズムに安定した主体があると早まって主張し、それは女という継ぎ目のないカテゴリーだと言った場合、そのようなカテゴリーは受け入れ難いと、あらゆる方面から当然のように拒否されてしまう。このような排除に基づく領域は、たとえそれが解放を目的として作られたものであろうと、結局は、威圧的で規制的な帰結をもたらすものである。事実フェミニズムの内部で起こっている分裂や、フェミニズムが表象していると主張しているまさにその「女たち」からフェミニズムに対して皮肉な反発が起こっていることは、アイデンティティの政治に必然的な限界があることを示すものである。」
*5ジェンダー・トラブル p250
「フェミニストの『わたしたち』は、つねに幻の構築物でしかない。つまり、それなりの目的はもってはいるが、『わたしたち』という語の内的複雑さや決定不能性を否定し、『わたしたち』という語で一度に女を表象/代表しようとして、その支持基盤の一部を排除することによってのみ、それ自身を構築するような構築物でしかない。」
□参考文献
ジェンダー・トラブル 新装版 ―フェミニズムとアイデンティティの攪乱
amzn.to/3T8XCaw
現代思想 2019年3月臨時増刊号 総特集◎ジュディス・バトラー
amzn.to/3ZyuFHn
ジュディス・バトラー 生と哲学を賭けた闘い
amzn.to/3YBowsB
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□『フェミニズムとジェンダートラブル』シリーズ
ジュディス・バトラー【フェミニズムとジェンダートラブル#1】
• ジュディス・バトラー【フェミニズムと...
フェミニズムの始まり【フェミニズムとジェンダートラブル #2】
• フェミニズムの始まり【フェミニズムとジ...
女性参政権運動【フェミニズムとジェンダートラブル #3】
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フェミニズム第二波【フェミニズムとジェンダートラブル #4】
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ウーマンリブ・女性解放運動【フェミニズムとジェンダートラブル #5】
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動画の書き起こし版
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前回の動画で、バトラーはセックス/ジェンダーの二分法を考える際に
フーコーのスキームを利用したと言いました。
非常に重要な部分ですので、
フーコーのスキームが色濃く現れているフロイトへの批判を材料に
それをもう少し詳しく見ていきましょう。
フロイトは、ノイローゼ患者たちの心には
(性に関する)無意識的抑圧が生じていると考えました。
そして、それを解放することで症状が消失すると主張したのです。
ここでいう「解放」とは「抑圧」された性に関する言説を引き出すことです。
しかしフーコーはこれに異論を唱えます *1
フロイトは「解放状態という概念が先にあり、
その状態ではない抑圧された主体が存在する」と考えるのですが
フーコーはこの因果を逆向きに捉えました。
つまり「抑圧されている」という事実を強調することで
事後的・遡及的に「解放されている」という状態が生まれる。
フロイトが重要視する「抑圧」された性に関する言説は
抑圧によってなくなったのではなく、むしろ生み出されたと考えるのですね。
フーコーは、このような、概念によって新たに生み出される
新しい力を「生産的権力」と表現しました。
このような構図は「抑圧/解放」の二分法から生み出されるわけですね。
抑圧という概念(B)があるという主張は、
抑圧(B)を外部(Aじゃない)とするような「解放された主体(A)」
の存在を事後的に作り出します。
新しい概念や主体を設定・強調すると、
その概念や主体が出てきた元の集合との二分法が生まれます。
そして新しい概念は常に「元の集合でないもの」として処理され、
それは同時に元の集合を強化し、浮き彫りのするのです。
バトラーはこれと同じ理屈がセックス/ジェンダーの二分法にも当てはまると考えました。
ジェンダーという概念を主張することで、
ジェンダー(B)を外部(Aじゃない)とするような
先天的・絶対的なセックス(A)を作り出してしまう
つまりジェンダーを強く主張することは、かえってセックスを強化させることになり、
それはフェミニズムにとってむしろ逆効果になってしまうのです。
そしてこのような流れは
「性別が〇〇だったら、行動も性的指向もこうあるべきである」という
セックス・ジェンダー・セクシュアリティの一貫性を強めることに繋がります *2
これは、フェミニズム第二波の主役だった白人女性においても、
そこで漏れてしまった性的マイノリティにおいても、マイナスでしかない状況です。
また、このような二元論は男/女というカテゴリーを強化することにより
男女の内部における多様性を隠してしまいます。
女性とはこうあるべきだという概念が強くなればなるほど
女性にも色々あるという事実が無視されてしまうのですね。
この辺りがフェミニズム第二波が抱えていた大きな問題です。
そもそもフェミニズムの主体とはなんでしょうか?
確かに第二波ではその主体が明確だったように思います。
そこで使われる「私たち」はきっと明確に誰かを指していました。
しかしフェミニズム第三波においての「私たち」は
もはや誰のことも指していなかったのではないでしょうか?
ボーヴォワールは
「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」
と言いましたが、バトラーはこれまで解説した意味でこれを批判します。
つまり「女になる」のであれば、それまでは「なんだったのか」と *3
ある集団を一つのカテゴリーに押し込むことは可能ですが、
そうするとそれぞれの個を無視することになってしまいます。
ですから、カテゴリー、つまりなんらかの主体を設定してしまうと
いずれにしても多様性を否定することになるのです。
第二波がやったことは「女」という主体を利用した「女らしさ」からの解放運動であり
これは一定の効果をあげはしたものの、むしろセックスという概念を強化してしまったのです
同時に、「女」という主体は、そこから外れる主体を排除します。
例えば体は女で心が男の人は「女という主体を利用した女らしさからの解放運動」
には参加することができないですよね。
これはもはや、男性がそれまでに女性にしてきた差別や抑圧と、同じことをしてしまっているのではないでしょうか *4
フェミニズムにおいて「女」という大きなカテゴリーを用いてしまうと、
それは男性がやってきたことと同じ戦略をとることになってしまうのです。
とはいえ、その前提で考えると
フェミニズム的な活動は、全て自傷行為であると言えてしまいます。
これを打破するためにはどうすれば良いのでしょうか。
例えば「黒人女性」や「レズビアン」のような
小さなカテゴリーで権利や平等を主張するのはどうか。
バトラーの理論を前提に考えると、この方法もうまくいかないことになります。
なぜなら、今まであった認識の外部に
新しい主体を設定してしまうと
それは元々の集合の強化に繋がってしまうからです *5
じゃあどうすれば良いのか。
これは非常に難しい問題です。
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Негізгі бет フェミニズムの主体と生産的権力【フェミニズムとジェンダートラブル #11】
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