いわき市金山町の小高い丘に、安寿と厨子王のゆかりの地として、安寿と厨子王母子像が立っている。福島県には、安寿と厨子王に関する伝承が広く伝えられる。その伝承は、福島県浜通りの、相馬氏、岩城氏、楢葉氏、標葉氏などの桓武平氏流れの一族に関わる史実が含まれているようだが、時代背景が交錯しており、その解明は困難であり、ここでは福島県に伝わる伝説として紹介するにとどめる。
岩城判官・平政氏は平将門の子孫で、康保4年(967)に賊将が朝廷にそむいたときに、それを討伐した恩賞として奥州の津軽郡、岩城郡、信夫郡を賜りいわきに入り、住吉館に居し、この地方を治めていた。政氏は、神社を再興したり、付近の浜から砂鉄を運ばせ鉄の生産を行ったりと、この地に善政を敷いた。しかしその後、讒言により、政氏は朝廷での勤めに怠りがあったということで筑紫の国に流されてしまった。
Негізгі бет みちのく民話伝承、悲劇・安寿と厨子王、救いは地蔵の慈悲、史実と仏教説話のはさまに
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