日本ニュースより、九〇式機上作業練習機と白菊の映像を抜粋しました。0:16までが白菊、それ以後が九〇式です。この動画で陸海空の兵器はすべてまとめ終わりました。
九〇式機上作業練習機は、第一次世界大戦と第二次世界大戦の間に日本海軍で採用された練習機である。開発・製造は三菱重工業。
昭和6年10月に制式採用された本機は、航法、通信、射撃、爆撃、偵察等の機上での各種作業を学ぶ練習機として初めて開発された機体だった。全体に使いやすい機体で、太平洋戦争終戦まで広く利用された。生産は主に九州飛行機と愛知航空機で行われた。総生産機数は624機である。
胴体の形状が角型で搭載力に余裕があったため、様々な練習機器を搭載することが可能だった。加えて、操縦席とキャビン部分がフラットだったために、お互いの行き来が容易で教官と生徒とのコミュニケーションがとりやすいという利点もあった。このため、太平洋戦争中に採用された白菊より、実用面では勝るとの意見も強く、旧式機ながら終戦まで訓練、連絡、輸送等の任務で広く利用された。
機上作業練習機白菊は、第二次世界大戦中期から日本海軍で使用された練習機である。開発・製造は九州飛行機で、機体略番はK11W。九〇式機上作業練習機の後継機として昭和17年に制式採用され終戦まで使用された。
安定性や操縦性が良好で、機内スペースが広く汎用性に優れた機体だったため、戦争末期の練習航空隊には本機が必ずと言ってよいくらい配置され、終戦まで活躍した。また、近距離輸送や連絡、対潜哨戒等の任務でも利用された。燃料は「八〇丙」と呼ばれるオクタン価80のアルコール燃料を使用していた。大戦末期には特攻機として使用され、沖縄戦に出撃した。製造機数は798機で、終戦時には370機以上が残存していた。これは、九三式中間練習機、零式艦上戦闘機、紫電・紫電改に続く数であった。一部は緑十字飛行に利用された。(WIKIより抜粋)
Негізгі бет [日本軍] 白菊/九〇式機上作業練習機 K11W /Mitsubishi K3M
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