彰子は、一帝二后という異例の状態の中、定子に並び立つ中宮となりますが、定子死後、彰子は遺児の敦康親王を実の母の如く育て、道長が敦康親王を排除しようとするのに反発し敵意を露わにするほどでした。
息子がわずか8歳で即位する中、摂政として天皇の代わりを務める道長とともに政務を見ましたが、驕り高ぶる姿勢は一切見せず、藤原実資も「賢后」と称えるほど理想的な存在に成長します。
道長死後も、関白となった頼通が何かと姉を頼りにするなど、摂関政治の実質的な中心人物となり、国母 女院として行った数々の政務は、後に院政を進める白河法皇が先例として数多く取り入れるなど、院政の魁とも評価されています。
今回は、86歳という長寿を保ちながらもその生涯のほとんどを皇位についた息子 孫たちの後見、権力者として政務を仕切る弟のサポートに捧げ、摂関政治の全盛期の立役者となった偉大な国母 彰子の生涯について紹介します!
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参考文献
服藤早苗『藤原彰子 (人物叢書)』
amzn.to/4byl3Sg
『日本歴史』編集委員会『恋する日本史』
amzn.to/3VNZuac
服藤早苗『藤原道長を創った女たち』
amzn.to/48J0IZT
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【画像引用】
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【目次】
1:38 彰子の出自 定子の抑えとして入内する
7:48 出産後の彰子 幼い天皇の後見に
14:23 彰子の後半生 頼通を従えて天皇を支える
#光る君へ #彰子 #見上愛 #大河ドラマ
Негізгі бет 藤原彰子の生涯 道長と時には対立しながら摂関政治の全盛期を築き上げる【光る君へ】
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